2025年 09月 28日
猛暑明け、久々のまち歩き |
年々夏の暑さが酷くなっているように感じます。『街歩きノオト』関連の取材で振り返ってみても、真夏に取材したことは過去には結構あります。でも、最高気温37~38度が続くような近頃の夏は「無理!」という感じ。特に私は車を運転しないため、目的地へ点から点という形で移動できず、どうしても歩きやバス待ちなど暑さにさらされる場面が多いので。
6月末に、車を運転できる人に吉備中央町のレトロ橋めぐりに付き合ってもらったのを最後に、夏の間はずっと取材のための遠出は控えていました。9月に入ってもまだまだ蒸し暑い日々が続いていますが、このたび意を決して久々の取材(写真撮影)に出動!表題には「まち歩き」と書きましたが、正確には「山歩き」です。
8月下旬から10月初めまでの土日祝に「吉備ロマン無料巡回バス」というのが岡山市などの主催で実施されています。造山古墳や備中国分寺、足守・大井や最上稲荷などは、かなり以前(20年くらい前?)は路線バスでも行けましたが、近年はそれも無くなり、私にとってはすっかりアクセスしにくい地域になってしまいました。ところが2~3年前から(←たぶん)このような巡回バスが期間限定で実施されるように…。でも、なぜか毎回夏真っ盛りの時期ばかりなんですよね。昨年・一昨年が7月中旬~9月中旬だったのに対し、今年は少し後にずらしたようではありますが…。暑さゆえにこれまで利用を見送ってきたけれど、今年こそは!と決意し、まだまだ蒸し暑い中、9月最終の週末にこのバスを利用して出掛けました。
というのも、最上稲荷奥之院にあるラジオ塔をぜひ見たかったから。最上稲荷から奥之院まではかなりハードな長い石段を登らねばならず、できれば車で行ける奥之院のほうからアクセスしたかったのです。巡回バスの乗降スポットに奥之院はないので、バスが停まる龍泉寺から歩いて行こうと計画しました。最上稲荷から登るより楽と聞いていたので。
ラジオ塔が立つのは、かつて最上稲荷と奥之院とを結んでいたケーブルカー(中国稲荷山鋼索鉄道)の「奥ノ院」駅前。このケーブルカーは戦時中(1944年)に廃止されたため、ラジオ塔は山の中の参道脇(小広場)にポツンと取り残された形です。位置関係をざっくり言うと、最上稲荷北の裏山(稲荷山)山上に「奥ノ院」駅跡とラジオ塔、そこからさらに北へ約450mほど緩やかに上ると奥之院である一乗寺がある。龍泉寺(バスの乗降場所である社務所付近)からラジオ塔・旧奥ノ院駅へは東へ約1kmといったところ。
↓ 稲荷山鋼索鉄道(ケーブルカー)の古写真。現地説明板より
この龍泉寺→ラジオ塔は尾根道のように思えたので楽勝!と踏んでいましたが、実際はかなりの上り坂で予想以上にきつかった!しかも、ラジオ塔→一乗寺も最後にそこそこ長い石段があり、これまた「緩やか」とは言えない登り道。久々の取材歩きはいきなりハードな道のりとなりました。それでも最上稲荷→旧奥ノ院駅ルートよりはずっと楽なのだそう(龍泉寺寺務所のおばちゃんもそう言っていた)。
でも頑張って行ったかいはありました。ラジオ塔は背が高く、アールデコ風のデザインも素敵。山道にひっそりと、しかし堂々とした姿を見せていました。
ケーブルカー奥ノ院駅跡は危険なため立入禁止となっていましたが、柵の外から見下ろして見学できるようにはしてありました。最上稲荷が作成したケーフルカーとラジオ塔の説明看板も設置されていました。
こんな興味深い見学スポットなのに、見たり写真を撮ったりしている間中、誰にも会わず仕舞い。龍泉寺→旧奥ノ院駅の道筋で小学生くらいの子供連れ家族一組とすれ違っただけで(最上稲荷から登ってきたのかな?)、旧奥ノ院駅→奥之院一乗寺の参道は私一人。奥之院一乗寺では数人の参拝者を見かけましたが、恐らく車で直接一乗寺に乗り付けた人たちと思われます。龍泉寺で巡回バスを降りた人はそこそこいたけれど、ここまで歩いて来る人は少ないようです。
奥之院一乗寺は京都の伏見稲荷にも似た、仏教とも神道とも言えない民間信仰的な混沌とした雰囲気があり面白かったです。伏見稲荷周辺の稲荷山の参道沿いにはたくさんの「お塚」と呼ばれる石碑や祠がびっしり建っていて、一種異様な雰囲気ですよね。ここはそのミニ版みたいな感じ。一乗寺も龍泉寺も日蓮宗のお寺なので、石碑群は題目石の体裁をとっているものの、そこに○○天王、○○大明王といった聞きなれない神名(?)がずらりと彫られていて独特です。
↓ その一つ。「南無妙法蓮華経」と刻まれた題目石だが、
そして、ここの境内にはなぜかライオンの神使像があります。狛犬みたいに阿吽の一組です。奉納年の銘が見当たらなかったので、事務所で和尚さんに聞いてみたら、建立は昭和初期戦前とのこと。なぜライオン像なのか、経緯は知らないとのことでした(昭和初期では、70代くらいに見える和尚さんが生まれる前ですね)。
本堂より上段にある石碑群エリアに上れば思わぬ絶景スポット。吉備の平野が一望できます。岡山ドームや旭川の河口部、児島湾の水面やその向こうの児島半島の山々が見えました。所々樹々に遮られるので、最上稲荷の大鳥居や造山古墳などは見えませんでしたが。
それから印象的だったのは、石碑(題目石)群が立つこの最頂部で「お百度参り」みたいなことをしていた若者グループ。カジュアルな格好をした大学生くらいの普通の男女数人が、ひときわ大きな題目石の周りを廻っては正面で一礼、を延々と繰り返しているのです。そのうちの一人が算盤みたいな備え付けの道具を動かして回数を数えている様子。マジのお詣りですね。それとも何かのトレーニング? 一体何のグループだったんだろう。
せっかくここまで来たので寺務所で御朱印をお願いしたら、今どき300円で(最近は500円くらいする所が多い)、しかもお茶菓子まで出してくださいました。恐縮です。お賽銭多めに入れておきました。
ちなみに龍泉寺の御朱印は500円、書置きです。とはいえ、日付は墨書きで入れてくれて、御朱印帳に貼ってくれるという丁寧な対応。広い境内を廻る順路や見どころなどもきちんと説明してくれましたし。こちらはこちらで気持ちの良いお寺でした。
広い境内は意外に起伏があり、地盤のしっかりした高台に本殿拝殿(お寺だけど神社風!)をはじめとするお寺の建物群、低地は湿地帯や池、一部田んぼ(神仏に捧げる米を作っているのでしょうか)という具合。龍王池という広い池は龍神のご神体とされる池で、なかなかの眺めでした。湿地帯は地元自然保護団体の手でよく保全されており、季節にはサギソウやトキソウの花が見られるそうです。
有名な水垢離場(滝行をする所)は、険しい山中にあるような印象を抱いていたのですが、事務所前広場から石段を少し降りた窪地にあり、あっけないアクセスに拍子抜け。しかし、龍の口から水がとうとうと流れ落ちる近くに立って振り仰ぐと、荒々しく岩が折り重なり、さすが画になる風景でした。
あと、地味に目を引いたのは拝殿前にある石造狛犬。昭和17年(1942年)奉納。台座の銘に「日出小太郎 刻」とあるのが石工名と見られますが、どこの所属の石工かは不明。が、どう見ても讃岐庵治系の狛犬ですね! 独特な愛嬌のある顔つき体つきと、阿形の下唇中央が上向きに尖っている(舌先の表現と思われる)のが特徴です。児島地域でいくつも見たのですっかり顔なじみ(?)になってしまいました。奉納者の住所は「名古屋市呉服町」と読めるけど、どういう関係だろ?
巡回バスは左回り・右回りそれぞれが1時間毎に出ているので、1時間後の次のバスに乗る人が多いようでしたが、私は龍泉寺と奥之院セットで何とまるまる3時間も費やしてしまいました。でも、元々ここだけが目的だったので全然オーケー。龍泉寺寺務所のおばちゃんには「奥之院まで30分はかかるわよ。バス大丈夫?」と心配されてしまいましたが。巡回バスでは乗り継いで何ヵ所も廻る人が主流のようです。
巡回バスは大型観光バスを使っていたのに、それでも常に満員。私は出発15分前には岡山駅西口の乗り場に着いたのですが、既にバスは満席で焦りました。結局、残り数人は補助席にということで乗せてもらえましたが…。途中のスポットでは乗り切れずあぶれた人も出ていました。とはいえ、逆回りも運行しているのでそういう人たちも1時間も待たずに乗れたとは思います。
こんなに人気とは思ってもおらず本当に驚きました。無料の威力かな。地元民っぽいシニア層(かなりのお年寄りも!)とアジア系観光客がほとんどでした。こんなに人気なら有料でもいいから通年運行してくれたらいいのに。初詣や節分のシーズンは収拾がつかなくなりそうだから外すとして、寒い時期もやってほしいなあ。寒い中歩くほうが得意です。樹々も夏ほど繁っておらず、写真も撮りやすいし。
吉備津彦神社、吉備津神社、高松城址公園などは吉備線で行けますが、足守、造山古墳、備中国分寺などは公共交通機関では行きようがない。まあ、私のような岡山在住なのに運転免許を持たない人はごく少数派でしょうから「マイカーで来い」と言われれば「まあ仕方ない」で済みますが(本心は不満だけど)、観光客はそうはいきませんからね。日本遺産・桃太郎伝説の地とかアピールしているわりに、不親切だなあと思わずにはいられません。
ありがたく使わせてもらって文句を言うのもなんですが、この度の訪問地が魅力的だっただけに、もっと気軽に行けるようになって欲しい(できれば奥之院一乗寺にも乗降場を設けて)と強く思った次第です。
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by machiarukinote
| 2025-09-28 16:54
| 街歩きレポート
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