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2024年 02月 13日
2月25日(日)に開催される「おかやまZINEスタジアム」に出店します。
この催しは、岡山市等が主催する「おかやま文学フェスティバル2024」(2024年2月23日~3月10日)内の一イベントです。ZINE(リトルプレス、ミニコミ誌、同人誌などの個人やグループの手作り冊子、小規模出版物)が一堂に会し、展示販売されます。 コロナ禍を挟んだこともあって、私にとって久々の対面販売の機会。そういう面でも楽しみにしています。『おかやま街歩きノオト』の全バックナンバーを揃えてお待ちしております。お時間がありましたら、どうぞ覗いてみてください。ワークショップや絵本の読み聞かせ、ドリンクやお菓子の販売などもあるそうです。 なお、会場は体育館なので、上履き(スリッパなど)のご用意をお願いします。 そして、せっかくの機会なので、このイベント用に『街歩きノオト』の番外編特別号を急きょ作ってみました。『おかやま県外街歩きノオト』と銘打って、東京で取材したトピックスを載せています。テーマは階段坂。 坂道、とりわけ階段坂のある風景が大好きです。わが”階段坂愛“については、以前このブログでも語っています(→コチラ)。このたび番外編にまとめたのは、ブログで書いた場所とは別のところ。まったく初出の内容です。文京区大塚と港区高輪の階段坂、プラスその地域のレトロ物件を扱っています。東京都心の隠れ里みたいな驚きスポット…岡山とはまた一味違う街の面白さをお伝えできたら、という思いで作りました。 この号はイベント限定での販売となり、書店では扱ってもらう予定がありませんので、ご興味のある方はぜひイベントでお求めください。なお、その後、奉還町verdeで開催される「みんなの奉還町書店」(2024年3月9日~3月30日)にもこの番外編は出品予定です。2月25日がどうしてもご都合悪い方はそちらでどうぞ。 ↓ 訪れた階段坂の一例。分岐する階段坂(港区高輪) #
by machiarukinote
| 2024-02-13 14:04
| お知らせ
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2024年 01月 18日
今年最初の「FM岡山」出演のお知らせです。
FM岡山『Fresh Morning OKAYAMA』 今回のテーマは、『おかやま街歩きノオト』第5号(改訂版)から、常住寺の話題です。 第5号を出したのは2009年とだいぶ前なので(改訂版は2016年)、常住寺についてはこれまでラジオやテレビで何回か話したことがあります。が、この度、何と岡山県立博物館で「常住寺の寺宝」という展示が開催されると聞き、この機会にぜひまた紹介せねば!と奮い立った次第です。あの、ボロボロだった謎の破れ寺が、こんな風に脚光を浴びるなんて・・・感激。 現在、常住寺は岡山市中区門田文化町にありますが、元々は岡山城域にある藩主専用の祈祷寺でした。その関係で藩主ゆかりの書画や仏像を多数所蔵し、それらはすべて県立博物館に預けられています。県博はコロナ禍の最中だった2020年4月から2023年3月まで、館内改修のため休館しましたが、その間に常住寺の所蔵品に対する詳しい調査が行われたそうで、今回の展示はその成果発表ということです。 テーマ展という、常設展示内の一画での展示ですので、平常展の安価な料金で見られます(大人240円、65歳以上120円、高校生以下無料)。会期中3日ほど学芸員さんによる展示解説もあるそうなので、その日が狙い目かも。 なんか県博の宣伝みたいになってしまいましたが、ラジオでは常住寺がどんなお寺なのか、どういう経緯で現在地に来たのか、一度荒れ果てた後また復活した事情などについて説明したいと思います。 なお、復興後の常住寺の様子については、以前に当ブログでも詳しくレポートしています(→コチラ)。 番組の内容は放送後一週間はアプリ『radiko』でもお聴きになれますので、リアルタイムで聴き逃した方はこちらもどうぞ。 #
by machiarukinote
| 2024-01-18 09:30
| お知らせ
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2024年 01月 17日
前回のレポートでは省略しましたが、春日神社&二日市町公会堂を訪ねた日に立ち寄った別の物件についても、記憶が薄れないうちに記しておきます。 春日神社の北北西200mほどの所に建つ、古い煙突と元・町工場らしき謎の廃墟…。3年ほど前にこの辺りを歩いていて偶然見つけました。ある一定の角度から眺めると、この廃墟煙突と萬歳酒造の煙突が同時に見えるという、レトロ煙突好きの私にはワクワクするスポットでもあります。 ↓ 煙突2基の揃い踏み。右が廃墟煙突、その左奥が萬歳酒造の煙突。 煙突と作業場か倉庫と見られる建物は蔦植物に埋もれまくっています。が、敷地全体が草ぼうぼうというわけではなく、もしかしたら一部はガレージとか物置として現在も誰かが使っているのかも…という感じ。 今回は運よく年配の方が通りかかったので即聞き込み。何人かに声を掛けましたが、昭和15年生まれという男性がしっかり当時を覚えていて教えてくれました。 こしあんをつくる製餡工場だったそうで、昭和20年代~30年代には盛況だったそうです。戦前からの工場だといいます。煙突は上部が切られていて、元々はこれより5mくらい高かったとのこと。この辺り(旭本町)は昔から製造業が多かった町で、屋根瓦を作る工場がたくさんあり(今も若干残っている)、萬歳酒造のほか、養鶏場もあったとか。 元製餡工場の敷地北側、東西に走る道に面して建っている二階建ての長屋は、製餡工場が所有していた借家だそうです。その前には昔ながらのゴミ箱もあるよ、と見どころも教えてくれました(もちろん私も気付いていましたが)。良い人に出会えて幸運でした。 萬歳酒造の煙突は以前撮ったので、今回は省略。この酒蔵はバリバリ現役で、X(旧ツイッター)でも発信しています。それによると、「1921年創業。岡山大空襲で奇跡的に焼け残った蔵で、現在も酒造りを行っています。岡山市内では少なくなったレトロな酒蔵です」とのこと。知る人ぞ知る評判の酒蔵のようです。酒蔵内に売店もあるそうなので、そのうち買い物がてら敷地内も覗いてみたいなあと思っています(お酒は一滴も飲めない下戸体質ではありますが)。 ところで、製餡工場で思い出すのは、清輝小学校や内田第一公園の近くにあった町工場。ずいぶん前からここの高い煙突は気になっていて、ある時正面側に回ってみたら「製あん所」と分かりました。 今でもあるか心配になり、この日帰路に通ってみたら、みごとに更地になっていました。ストビューで確認すると、2021年1月の画像にはまだ写っており、わりと最近無くなったようです。 このコロナ禍のうちに失われた煙突は他にもあります。建物ごと解体された「有楽温泉」の煙突(北区奥田一丁目)、山陽本線車窓からもよく見えた染色工場「正織興業」の煙突(北区中井町2丁目)。地震等での倒壊の恐れがあるので、この種の煙突は撤去の運命にあるということは重々承知なのですが、レトロ煙突好きとしては、やはり寂しいです。
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by machiarukinote
| 2024-01-17 12:40
| 街歩きレポート
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2024年 01月 16日
岡山市内岡南エリア居住の街歩き愛好家の方から、この年末年始に聞き捨てならない情報をいただきました。岡山市七日市の春日神社の狛犬が近々リニューアルされ、元のものは撤去処分されるようですよ、と。
春日神社の狛犬といえば、参道入口にある「笑う狛犬」が岡山の狛犬好きの間ではちょっとした人気。こちらは昭和初期という比較的新しめの建立ですが、随神門前のもう一対は江戸時代の作だったはず。岡山空襲の被災物件としても知られています。えらいこっちゃと思い、昨日、現地に行ってきました。 説明札の文面からは、決して無下にお払い箱にするわけではなくて、丁重に扱われていることが伝わってきます。さっそく社務所を訪ねると、宮司さんの奥さんが応対してくださいました。現在の狛犬は特に保存の計画はなく、業者に処分を依頼することになるかと思うとのこと。 神社によっては古い先代狛犬を境内の片隅や本殿周りの玉垣内に置いていることもあります。このブログで取り上げた阿津の廣幡八幡宮(→コチラ) や天城の廣田神社(→コチラ)などがその例です。激しく破損していても、風化ですっかり摩耗していても、とりあえず邪魔にならない形で保存されています。 春日神社では現在境内の整備を徐々に進めている最中のとのこと。狛犬を移動してしかるべき場所に移すとなると、境内に重機を入れなくてはならない(うまく入るか?)、適切な場所も確保しなければならない(将来の工事で邪魔にならない場所を見極めて…)、と手間も費用もバカにならないのだそうです。確かに…。 戦火をくぐり抜けた貴重な戦災遺産だということももちろん承知しているので悩ましいところです、と話しておられました。どなたかもらい受けてくれる人がいればありがたいのですが…とも。う~ん、この大きさと重さでは引き受ける人を見付けるのは難しいかも。 この狛犬の台座を見てみたところ、制作した石工は分かりましたが(豊島石工 樽井平六)、年号は読み取れませんでした。「文政六年冬」(1823年)という情報もあり、そう言われればぼんやりそんな風にも読めるかな。作風は明らかに浪花式ですね。吽形の頭に角があるのも古風でいい! 狛犬の運命は今のところ不確定(悲観的寄り)としか言えません。愛着のある方は至急見に行くことをお勧めします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― この後、北に歩いて「二日市町公会堂」を目指しました。町内の集会所としての公会堂のことです。ここも、春日神社狛犬の件を知らせてくれたのと同じ方が以前教えてくれたもの。この辺りは何度も歩いていますが、この筋は通ったことがなく、まったく知りませんでした。 何かの町工場を利用した公会堂でしょうか。それにしても間口がすごく狭いのに奥が深くて、ウナギの寝床みたいな建物です。工場でもこんなのあるの? 公会堂北隣の空地の奥に見える、石垣とレンガ塀もレトロ。 この公会堂が建つ通りから1本東は、旭川河岸の土手道で、そちら側に面した家の敷地は一段高くなっているため、こんな風景となるのです。なんかこの辺りには煉瓦塀が目立つような…。下の写真は以前撮った二日市町の煉瓦塀。旭川河岸にある駐車場を囲むかなり長い塀です。石垣があり、その上に煉瓦塀という構造が似ていますね。今回はそちら側には行っていませんが、たぶん今もあると思う…。かなり広い敷地なので、かつては大きな屋敷か工場でもあったのでしょうか。 二日市町公会堂に話を戻します。公会堂を正面から見た時、右側に細く張り出した部分は、手前(道路側)がトイレで、奥が倉庫のようでした。トイレ部分には小便器2つと個室がありますが、今でも使えるのだろうか。建物内部や裏手外ではなく、いちばん表側にトイレがあるなんて変な造りです。元は作業場のような実用一点張りの建物だったからでしょうか。 最近の町内公会堂は素っ気ないものが多いですが、古い公会堂といえば、和風にせよ洋風にせよ、わりと力の入ったデザインの建物というのが定番…という印象があります。昔は学校とか公会堂は、今以上に地域の誇りの特別な存在だったからでしょうね。そんな中、さほど新しいとも思えない二日市町公会堂は、珍しい例だと思います。既存の建物を転用するにしても、なんで工場なんだろう。機会があったら、また聞き込みに行きたいです。 #
by machiarukinote
| 2024-01-16 17:44
| 街歩きレポート
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2024年 01月 03日
明けましておめでとうございます。 毎年、初詣を兼ねてお正月にどこかしらの寺社を訪問することにしています。今年は矢掛町東三成の「吉備大臣宮」を訪ねました。 上の写真は、吉備大臣宮の神庫の屋根を飾る龍の装飾です。元々は、建て替え前の拝殿の大棟を飾っていたものだそうです。辰年の初詣にふさわしいお宮をチョイスできて嬉しいな。 矢掛町の吉備大臣宮(+吉備真備公園)と真備町の吉備寺(+まきび公園)は、『おかやま街歩きノオト』第12号(2011年発行)で取り上げて以来、何度かお正月にも訪ねています。遡って調べてみると、2013年、2014年、2015年の新春に訪問していました。もう10年くらい前のことだったんですね。もちろん正月以外の季節にも訪ねており、大水害から数ヶ月経った2018年晩秋のほか、2022年夏には仔連れ狛犬取材で再訪しています。ただし、この2回は吉備大臣宮には立ち寄っていません。 ↓ お正月の吉備大臣宮(2014年) 聞くところによると、近年の吉備大臣宮は、墨書き劇画タッチで吉備真備を描いたイラスト入りの御朱印が評判なんだとか。この神社は普段は無人なので、兼務する縣主神社(井原市)で入手できるそうです。 縣主神社は井原鉄道の駅からかなり離れていますが、井原市のコミュニティバスで行けることが分かり、昨年11月に別口の取材のついでに寄ってみました。 社務所で尋ねると、現在、吉備大臣宮の御朱印としては文字だけの普通の御朱印と書置きの切り絵御朱印は授与しているが、直書きのイラスト入り御朱印は出していないとのこと。こちらの宮司さんによる手書きイラスト入り御朱印は、今や全国レベルで大人気で(特に猫モチーフのもの)、自分のお宮の御朱印だけで手いっぱいなのでしょう。 が、正月三が日だけは吉備大臣宮現地でイラスト入り直書き御朱印を授与します、と教えてくれました。そこで、このお正月に喜び勇んで駆け付けたわけです。 新年仕様の文字だけ御朱印、切り絵御朱印、直書きイラスト入り御朱印がありましたが、やはりここは直書きイラスト御朱印でしょう。社務所では御朱印帳を預ける人が次々と…。一旦預けて後日受け取りor郵送なのかなと思っていたら、40分~1時間後くらいででき上るとのこと。聞けば、宮司さんは自分のお宮を離れるわけにいかないので、そのお父さん(先代宮司?)がこちらに来られていて、御朱印とご祈祷に対応しているそうです。 先代さんもイラストを描けるの?と驚きましたが、完成した御朱印を見ると、イラストは宮司さんの原画から起こした精巧なスタンプでした。それでもカッコよく文字を書いたり彩色したりしなければならないので、けっこうな手間と思われます。次々に御朱印の「注文」が入るし、そのくらい時間がかかるのも頷けますね。 ↓ いただいた吉備大臣宮のイラスト入り新年特別御朱印 吉備大臣は平安貴族風装束で、歴史上の吉備真備というより吉備大臣入唐伝説バージョンかな。文字も達筆で素敵。わざわざ赴いた甲斐がありました。 ところで、あてにしていた吉備真備公園内のうどん屋「館址亭」がこの日はまだ正月休み中だったので、待ち時間がまるまる手持無沙汰になってしまいました。そこで、駅からここに来る途中にある「金勢大明神」を、この空き時間を使って探索してみることにしました。あとで時間があったら寄ってみようとは思っていたので…。 井原鉄道・三谷駅から吉備真備公園・吉備大臣宮への道中、ちょうど半分くらいの地点に「金勢大明神」と刻まれた石柱が建っているのです。以前からずっと気になっていました。 ↓ 他の石造物と共に道端に立つ「金勢大明神」の石柱(右端)。2013年1月撮影。 金勢大明神とはわが国の代表的な性神のひとつです。この石柱自体が信仰の対象なのか、あるいは道標のような案内表示なのか。 そこで役に立つのは、岡山民俗学会による『岡山県性信仰集成』(1964年)。60年も前の本ですが、この手の民間信仰スポットが小さなものまでつぶさに採取されていて(ほとんどが写真付き)、現在でも有益な情報源なのです。ここもしっかり載っていました。 それによると、この石柱は道祖神的役割を兼ねているのだろう、とのこと。この道は旧西国街道にあたり、そこから山側に入っていく分かれ道の角にこの石柱は立っているのです。街道から山側が元々の集落とみられるので(今は街道の反対側つまり小田川のほうにも民家が建っているけれど)、ここが集落の入口というわけですね。 さらに同書には「その碑石の奥の山中に金マルさまが祀ってある」とも書かれており、写真も掲載されています。ちなみに「金丸さま」も同様の性神で、金精(金勢)さまの別名と言っていいでしょう。 以前この情報をもとに、集落の山際の民家の裏などを覗いたりして探したことが一度あります。が、それらしいものは見当たらず…。何十年も前の情報だからなあ、廃れてしまったのかも、と思い、それっきりに…。 再チャレンジである今回は、同書に「山中」と書いてあったのに注目し、もう少し奥まで探索してみることにしました。グーグルマップなどでは、いちばん山寄りの民家のあたりで道が途切れていますが、国土地理院の地図で見るとその道は山奥までずっと続いています。同書の写真では、金マルさまの祠は石積みの土台に載っているので、祠は崩壊消滅していたとしても、土台の石積みくらいは残っているのではないか、と予想しました。 民家が途切れると舗装道路は土の道になります。左に折れて山の中に入っていく分岐道もありましたが、違うような気がしたのでそのまままっすぐ進みました。かつては民家があったような2~3軒分くらいの敷地の脇を通り過ぎ、少し行くと山道の右脇に、写真と同じような石積みと小さな祠が…。やった~!見つけました。 祠は瓦製で、前面が開口しており、その中に供え物の木製陽物(男根像)が5本置かれています。同書には、供え物の陽物14~15本とあり、数はだいぶ減ったようですが、それでもいまだ健在なのが驚き。真ん中の3本はかなり新しそうに見えます。 ↓ 金マルさまに供えられている陽物。 表面に垂れた蝋がこびり付いているのが何だか生々しい。 今でもお世話している人がいるのでしょうか。同書によると、60年前の当時でもちょいちょい参拝者はあるとのことで、地元老人いわく、子供の頃(明治~大正頃?)は十数軒の講仲間が組織されていて、毎年4月には回り持ちの当番の自宅でちょっとした儀式をしたとか。性神としての役割のみならず、子どもの寝小便を止める目的でお詣りする親もあったそうです。 これまでも『岡山県性信仰集成』をもとに見に行ったスポットは色々あり、中には『おかやま街歩きノオト』で取り上げたところも…。第16号の青江神社(倉敷市酒津)内・金山神社や、第21号の穴場神社(倉敷市中島)がそれです。その他にも、岡山市南区彦崎の大日庵の金丸さま(→コチラ)、同市中区中島の男根型墓石(→コチラ)、笠岡市金浦の陰陽石神社(→コチラ)、倉敷市児島小川の小川八幡宮内・金間良大権現(→コチラ)などは当ブログで紹介しています。 こうしてみると、意外と残っているという印象です。もちろん、探しても見当たらなかったケースもありますが…。例えば、倉敷市味野本村の大師堂の陰陽石型石灯籠とか、玉野市八浜町波知の波知八幡宮内・カナマロ様の供え物陽物、岡山市中区円山の石高神社内・金麿宮の供え物陽物は姿を消していました。 逆に、同書には載っていなかったけど、たまたま見付けたというのもあります。吉備大臣宮を兼務している縣主神社の境内片隅には、こんな素焼き製陽物が2体ありました。 境内にある雑多な小祠などを寄せ集めた一画です。いずれ処分されてしまうのでしょうか。 こういう形で祀られていたんですね。木製祠が壊れるか何かして片付けられてしまったのかな。神社で聞いてみたらよかったのかも。 新年早々、妖しい話題満載になってしまいましたが、子孫繁栄・豊穣のめでたくもありがたい信仰ということでご容赦を…。 #
by machiarukinote
| 2024-01-03 21:00
| 街歩きレポート
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