10月上旬に所用で東京に帰省したのですが、その帰路に京都に立ち寄り、2泊してレトロ公園巡りをしました。昨年のちょうど今頃にも京都旅行をして、京都市街地の北部(紫竹~下鴨~一乗寺エリア)のレトロ公園をかなり集中的に見て廻りました。それ以前からラジオ塔の残る公園など、京都の古い公園を意識的に訪れてきたので、地元民でないわりにはまあまあ詳しいほうだと思います。
あまりの猛暑でほとんど取材に出掛けられなかった今年の夏、家で何となく京都で撮ったレトロ公園の写真を整理していたところ、これで1冊冊子ができるのではないかと思い付き、試しにざっくり誌面を組んでみました。ただし旅行での限られた日程ではまだ訪問しきれていない場所もあり、せめてあと数ヵ所取材しなければ、と思っていたところだったのです。
今回は正味二日半で16ヶ所の公園に行ってきました。16ヶ所のうち9ヶ所は初訪問の公園。再訪の7公園も、前回の訪問では気付かなかった部分を確認することができ、収穫大ありでした。とはいえ、残念だったことも…。吉田山に近い「馬場公園」は行ってみたら、なんと公園丸ごとの改修工事中。公園周囲には立入禁止の柵とシートが廻らされ、工事車両が稼働してまさに整地の真っ最中。工事に関する掲示から判断すると、つい数日前に工事が始まったばかりのようでした。タッチの差で遅かった!初訪問だったんですけどね。
↓ 改修工事中の馬場公園(京都市左京区)吉田山の東麓にある。
園内にあった湾曲した幅広階段が見たかったのに、すでに瓦礫の山…。

あと地味に困ったのが、メイン日程である2日目・3日目が一日中思いっきりの晴天で、コンクリート工作物を撮るには陰影コントラストが激し過ぎて撮影が難しかったこと。普通の観光ならいい天気で良かったね!となるところなんでしょうが…。木漏れ日があったりすると、まだら模様になってしまってワケの分からない写真になってしまう! 予報では3日目の午後は曇りになるはずだったのに…。一縷の望みを賭けて、3日目最後の公園では数十分ほど園内で待機してみたけれど、太陽を遮る雲は一向に現れず諦めました。
↓ 中村公園(上京区)二条城の近く。扇形の階段が印象的なのだが、
木漏れ日でまだら模様が付いてしまい、わかりにくい。
京都の公園についてまとめる手作り冊子は遅くとも次の「Zineスタジアム」(2026年3月7日)までには完成したいと考えています。ベストの状態ではない写真も多少あるけれど、一応材料は揃ったので、これで冊子を仕上げることができそうです。
レトロ公園の詳細については冊子に譲るとして、今回の取材(撮影)で出遭った公園以外の面白いモノを紹介します。
京都の街を歩くと、街角のそこここで地蔵の小さな祠を見かけます。しばしば公園内にもあります。自治体(京都市)が作った“公”園の中にそんな宗教がらみの物を置いていいの?と不思議に思っていましたが、この夏に読んだ『増訂 京都地蔵盆の歴史』(村上紀夫、法蔵館文庫、2025年)のおかげで多くの謎が解けました。
それによると、街の角々に地蔵を祀り、町内ごとに子どもたちが主役の祭りを地蔵盆(8月24日)に執り行うというのは京都特有の風習で、厳密な宗教行為というより土地の習俗のようなものなのだそう。地蔵なのでベースはいちおう仏教の概念なのですが、民間信仰化して地域コミュニティ(町内会など)の親睦や絆の役割を担っているのだとか。
京都は江戸時代から近代にかけて街の開発などで地中から石仏が彫り出されることが多く、それらが自然に庶民の素朴な崇敬対象になっていったとのこと。石仏の多くは中世の墓標ではないかと考えられるそうです。京都では「化粧地蔵」といって地蔵像をペインティングする風習がありますが、摩滅して姿形もよく分からない石仏を無理やり(?)「お地蔵さん」に仕立てるための手段だろう、と当著者は推測しています。なるほど!
この本を読んだこともあって、今回は公園内や通り道で見掛けた地蔵の祠(小堂)の中もしっかり覗いてみました。公園探訪のついでだったのでそれほどたくさん見たわけではないのに、化粧地蔵にも予想以上に出遭えました。
↓ 西ノ京公園(中京区)にある化粧地蔵
↓ 上平橋(後述)たもとの化粧地蔵。色っぽい
↓ 小松原公園(北区)付近で見掛けた化粧地蔵。背景の青色が鮮やか
↓ 下鴨森が前公園(左京区)付近で見掛けた化粧地蔵。優し気
↓ 紫野宮西公園(北区)近くにある化粧地蔵。濃い!
いやー、面白い!どれも個性的で可愛いし。「化粧」は、地蔵盆の時期に町内の子どもか大人が毎年あらためて施すのだそう。上平橋たもとのは細部まで丁寧に描かれているので大人の手によるものでしょうか。西ノ京公園内のは仏画には程遠いチューリップが描かれているから子どもかな。楽しいな~、もっと見たくなります。ちょっと調べたら、出町柳付近にはカラフルな「傑作」が多いとのこと。次の京都旅行ではぜひ行程に入れるぞ!
阪急電鉄桂駅近くの桂巽公園では、わざわざ現代に作ったなかなか立派な地蔵堂と地蔵の銅像を発見。よく見ると堂の内壁に、この地区の区画整理事業および公園の竣工を記念したパネルが掲示されていました。区画整理事業の竣工記念碑は岡山市でも他の京都市の公園でも見かけますが、地蔵堂が記念碑代わりとは! 辻地蔵が地域の人々の生活に密着して馴染んでいる京都ならではの事例だなあ、と面白く感じました。
↓ 桂巽公園(西京区)の地蔵堂。区画整理事業記念のパネルが掲示されている。
地蔵の銅像には小学生男児女児の像が添えられていて現代的造形。
西ノ京公園の少し北、JR円町駅付近ではずっと気になっていた昭和初期のレトロ橋を見ることができました。
丸太町通りに面した西ノ京橋はかなり前に見掛けて写真も何枚か撮りましたが、その後、そこから下流に向かっての3つの小橋がコンクリート高欄のレトロ橋であることに気付いたのです(ストビューで)。なかなかそちらの方へ行く機会もないまま未訪問でしたが、今回わりと近くまで来たので立ち寄ってみました。予想以上にいい橋揃い。大晴天のため公園では写真撮影に四苦八苦しましたが、橋はうまい具合に光が当たっていて、比較的わかりやすい写真を撮ることができました。
↓ 2014年に撮影した西ノ京橋(中京区)親柱は石製、高欄は石&コンクリ製
京都は一級河川鴨川に架かる大きな橋などはシンボル的に大切にされていますが、街なかの小河川に架かる小規模な橋は改修が進んでいるのか、レトロな橋は意外にもさほど多くありません。なので、狭い範囲に集中的にレトロ橋が4基も並んでいるのは珍しいかも。これらの橋の下を流れるのは紙屋川(天神川)。京都の代表的な小中河川の一つですね。上流側の西ノ京橋から順に橋を紹介します。
↓ 西ノ京橋(1924年/大正13年架設) かつては市電が走っていた大通りに架かる。
なかなか手の込んだ重厚なデザイン。近年なぜか白く塗装されてしまい風情半減。
↓ 上平橋(1957年/昭和32年架設) 戦後の架橋。親柱も高欄もコンクリート製。
親柱の橋名や竣工年月を記す部分だけは石のプレートが嵌っている。
橋のたもとに地蔵の小堂と「吉川大明神」なる神が祀られているのが印象的。
聞きなれない神名だがお稲荷さんの一種?伏見稲荷に沢山ある「お塚」っぽい。
↓ 上平橋と西ノ京橋との間の河岸には、コンクリ柱を鉄管で結んだレトロな柵も。
↓ 平橋(1936年/昭和11年架設) この中では西ノ京橋の次に古い戦前の橋。
親柱と中柱は石製、高欄はコンクリ製。中柱の上面Rと2本の縦筋がアクセント。
背後頭上に見えるのはJR嵯峨野線の高架

↓ 平町橋(1954年/昭和29年架設) 戦後の橋、この中でいちばん簡素なデザイン。
親柱はなく、高欄の前後面に橋名プレート痕があるがすべて失われている。
↓ 平橋のすぐ上流側に新しく架けられた中平橋(2002年)から下流を眺めた風景。
手前に平橋、その向こうに平町橋。紙屋川自体も長閑な趣きでいい眺め。
西ノ京橋より上流側にも古い公園やレトロ銭湯があるので何度か歩いたことがありますが、特に目を引くレトロ橋は見た覚えがありません。調べてみると橋自体は架け直されていないものの(ほとんどが戦後の1950年代架橋)、高欄が軒並み現代風の金属製柵に改修されているようです。ずっと上流に遡ると、一条通りに架かる一條橋、その一つ上流の北野橋(今出川通りに架かる)は戦前の橋。どちらも親柱・高欄は古い形で残されています。西ノ京橋ほど凝ったデザインではありませんが…。
戦後の橋である上平橋と平町橋もいずれ金属製高欄に改修されてしまうのだろうか。平橋は戦前のデザイン的な橋ということで残してくれるといいのだけれど…。
古い公園も橋も、鉄筋コンクリート物件がレトロで素敵!なんて思うのは酔狂な一握りの人間だけで、大部分の人々は新しくスッキリ改修されたら「きれいになったね!」と喜ぶのでしょうね。コンクリート(人研ぎ仕上げ)の暗い色合いや重々しい印象が、不気味と感じる人もいるみたい。だから西ノ京橋も、少しでも明るく見せるために白くペインティングされてしまったのかな。岡山でも大井(岡山市北区)の二面橋や井原市の塚橋など、白塗りのレトロ橋はいくつか見ました。手っ取り早く綺麗っぽくする常套手段なのでしょうか。あまり良い趣味とは思えませんが。
↓ オマケ。佐々木酒造の煙突。煙突も好きで思わず目が行っちゃう。
中村公園(上京区)のすぐ近く。年季の入った酒蔵の建物が目を引く。
現在洛中に唯一残る現役の蔵元。中心市街地でも良い水が湧く京都ならでは。
