2025年 12月 27日
〈年末の京都 その1〉レトロ公園再び |
暮れも迫った12月下旬に京都旅行してきました。毎年11月~12月上旬は紅葉の季節のため、京都の宿はどこもグンと宿泊代が値上がりします。なのでこの時期に行くのは敢えて避けていましたが、紅葉が終わってから年末年始までのわずかな狭間だけ、ビジネスホテルの宿泊代がガクンと下がってお得なことに気付き、急きょ行くことを決めたのです。

主な目的はレトロ公園と化粧地蔵。『京都の街角のレトロ公園』を小冊子にまとめた後ではありますが、まとめる過程で気になった公園も出てきたし、再訪して写真を撮り直したい公園もあったので、またまたしつこく公園巡りをしました。化粧地蔵はカラフルな「傑作」が多いとの情報を得ていた出町柳周辺を探索。また、それらを巡る途中で思いがけずいくつかの素敵な近代洋風建築にも出会いました。
まずは初来訪の公園から。
高原公園(京都市左京区田中西高原町)1938年(昭和13年)5月開園
土木学会により土木遺産「戦前竣工の京都市児童公園群」の一つとして認定されている公園。最近(2021年頃)改修されましたが、土木遺産であることを充分認識した上で、重要なポイントは残しながら現代の公園として再整備されたという土木ファン注目の物件です。
こんなに慎重に改修されたのだからさぞや立派なレトロ公園かと思いきや、行ってみたら案外普通の公園でした。周囲は平凡な住宅街で、付近に趣きある歴史的景観があるわけでもない。かなり広い公園ながら、パーゴラ(藤棚)や国旗掲揚台などはなく、公園出入口のデザインも比較的シンプル。グーグルマップのストリートビューでは改修前の姿も見れますが、元々こんな感じだったようです。もちろん2つの円筒形石碑兼公園設備は他では見掛けない大変珍しいものではありますが。
土木遺産に認定された公園群のうち、南部公園(伏見区、1942年)は高原公園とほぼ同じ頃に改修されましたが、こちらは歴史的価値を無視して古い物は一掃されてしまいました。また、同じく土木遺産の橘公園(上京区、1939年)は2010年頃に全面改修され、ラジオ塔だけは保存されたものの、凝った形の水飲み場やベンチ一体型の扇状テラスなどは失われました。紫野宮西公園(北区、1935年)は大きな改修は受けていないようですが、2015年頃の小改修(小プールの撤去)で国旗掲揚台が失われました。ストビューで見ると、下鴨森が前公園(左京区、1935年)の国旗掲揚台によく似た凝ったデザインのものだったようです。残念!
これらは恐らく、文化財的貴重さが行政のほうで認識されていなかったのが原因だと思います。特に公園を管理する部門では…。こういうことってお役所では時々起こりますよね。2008年に勃発した倉敷川の雁木(石段)改修騒動などはその典型です。観光の部署と文化財の部署との連携が取れていなくて、歴史的価値を知らずに改修してしまったという例。お役所はミスを認め復元しましたが、元々の石材は廃棄されたあとだったので、似た石材でそれらしい形に作っただけという残念な結果となりました(詳しくはコチラ→当時の倉敷考古館館長・間壁忠彦氏のレポート)。
もし将来、高原公園以上にレトロの宝庫である紫野柳公園(北区、1935年)や下鴨森が前公園などを改修する際は、ぜひ「土木遺産」であることを充分意識して慎重な工事計画を立てて欲しいものです。一旦壊したら元には戻りませんからね。
飛鳥井公園(左京区田中飛鳥井町)1938年(昭和13年)8月開園
土木遺産には含まれていない地味な公園ですが、比較的古い形状が残っています。
西の出入口と南辺西寄り出入口はレトロですが、南辺東寄り出入口と東出入口は新しそう。公園北辺の東半分にコンクリート製の高い塀がそびえているのも異様。
↓ 飛鳥井公園の北辺東半分に建つ頑丈そうなコンクリート塀
帰宅してから今昔マップと国土地理院空中写真で調べてみたら、現在の飛鳥井公園の東半分弱にはかつて(1970年後期まで)変電所があったようです。当時近くの東大路通を走っていた市電関連の変電所だったそう。市電が廃線になったため変電所も廃止となり、跡地は公園に組み込まれました。公園の東半分の出入口が新しそうなのはそのため、北東半分のコンクリ塀も変電所の塀だったと見られます。この変電所(田中変電所)の開設は1929年(昭和4年)なので、当初からあった塀だとしたら公園より古い建造物と言えますね。
上終公園(左京区北白川瀬ノ内町)1943年(昭和18年)7月開園
こちらも土木遺産には含まれていない公園ですが、戦前(終戦前)の公園。敷地に若干の高低差があり、東3分の1ほどが一段高くなっています。
↓ 北辺東寄りの出入口。奥に見える大きな築山滑り台は戦後の作

築山滑り台があるのは東側の上段部分。この築山は国土地理院空中写真から判断すると1960年代末頃にできたと思われます。なお、西辺や北辺と同じデザインの出入口が東辺にもありますが、ここは公園のいちばん高い部分なので、階段はなくそのまま平面的に出入りする作りです。
塚本公園(左京区一乗寺塚本町)1960年(昭和35年)4月開園
こちらは戦後の公園。とはいえ、曲面デザインのコンクリート製門柱、コンクリ柱&鉄管の柵、幾何学的植栽区画など、戦前の公園を踏襲する作りです。園内に市電の車両が静態保存されているのが特徴。北寄りのパーゴラ付近をシートで囲って改修中のようでした。
辻公園(左京区一乗寺宮ノ東町)1960年(昭和35年)4月開園
塚本公園と同じく戦後の公園ですが、こちらも戦前っぽい造形が見られます。この時代はまだこういう造りが主流だったのでしょうね。
この公園が面白いのは水路に囲まれているという立地。西辺を流れるのは、曼殊院付近の山中から流れてくる太田川。公園の南辺を流れる水路とこの太田川とが公園西南部で合流し、そこそこ広い池(遊水池?)になっています。また公園の東辺に沿っても細い水路があり、南辺の水路に合流しています。つまり北辺以外はすべて水路に囲まれているのです。
以上、田中~一乗寺エリアの公園でした。地蔵本公園(1938年)と一乗寺公園(1953年)もこのエリアですが、これらは昨年訪ねているので省略。特に地蔵元公園は出入口のデザインが素晴らしく、冊子『京都の街角の公園』の表紙にも使っています。
さて、少し離れた北野エリアにある「下柏野公園」へは翌日に。この公園も初の訪問です。
下柏野公園(北区紫野下柏野町)1953年(昭和28年)3月開園
以前何度か訪ねたことのある「千本えんま堂」の近く。戦後の小公園ですが、公園出入口のデザインが独特なので今回わざわざ見に行きました。
北辺西端の出入口は道から公園へ階段を2段降りる造りになっています。公園北辺沿いの道が若干西へせり上がっているということですかね。京都は盆地のためかあちこちに微妙な高低差があり、思わぬ所に段差や階段坂があって面白いです。真っ平らな土地が広がる岡山ではあまり見られない光景です。
なお、メイン出入口の縦筋模様入り門袖は、中堂寺公園(下京区、1952年)の門柱と似ています。戦前モノとは一味違ったテイスト。開園年も近いし、当時の流行りなのかな。(中堂寺公園は冊子に載せています。そちらを参照ください。)
こうして見ると、戦後の公園でも昭和30年代くらいまでは充分レトロですね。土木や造園の研究者は戦前竣工の公園しか調査対象にしていないようですが、昭和戦後の公園にも注目して欲しいものです。
この日(2日目)は他に、いずれも再訪ですが六条院公園(下京区)、中村公園(上京区)、小松原公園(北区)、下鴨森が前公園(左京区)を訪ね、前回撮りそこなった部分や天候のためうまく撮れなかった箇所の写真を撮影しました。特に小松原公園と中村公園では前回、木漏れ日で撮影対象物がまだらになってしまうのに悩まされたので、曇天かつ落葉しているこのタイミングはとてもありがたく感じました。
下鴨森が前公園は今回で3回目ですが、冬に訪れたのは初めて。扇型のパーゴラ(藤棚)は藤がすっかり枯れて様変わりしていました。繁っている時はすごい存在感だったけど、スッキリしてしまうと何だかこじんまり…。とはいえ、この日の下鴨森が前公園は終業式が終わったばかりの小学生たちがめっちゃ元気に遊びまわっていて、思わず嬉しくなりました。国旗掲揚台の後ろも隠れ鬼(多分)の隠れ場所になっていたり…。戦前のレトロ公園もまだまだ現役ですね。子どもたちの邪魔にならないようにササっと撮影して退散しました。
by machiarukinote
| 2025-12-27 18:13
| 街歩きレポート
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