2021年 09月 11日
神下と天神一社楊田神社 |
神下は「渋染一揆」ゆかりの地ということは以前から知っていましたが、実際に歩き回るのは初めてです。「神下」の町域のうち、南西寄り200~300m四方くらいの地域が旧集落らしく、堂々たる古い日本家屋(農家?)がだいぶ残っていました。
神下旧集落の街角には、このような(↓)渋染一揆の記念碑も建っており、その隣が岡山市が運営する「渋染一揆資料館」。が、見学は予約制とのことで、閉まっていました。
渋染一揆とは、江戸時代末期、財政危機に瀕した岡山藩から差別的かつ極端な倹約を強いられた藩内の被差別部落民たちが、その命令に反発して決行した大規模な非武装抵抗運動のことです。命を賭して藩の家老に集団直訴し、見事要求を通したという歴史的事件。その強力なリーダーの一人が神下出身ということで、神下がゆかりの地とされているようです。
さて、この神下旧集落の北で「天神一社楊田(やないだ)神社」というお宮に出会いました。この辺りの神社は、浮田神社、天鴨神社、春日神社など結構くまなく訪れているはずなのですが、ここは初めて。見落としていました。
地味な佇まいの神社ではあるものの、それなりの広さの境内を持っています。コンクリート塀で囲った神社敷地の外に、末社らしき小祠が3つ建っているのが不思議な光景。塀の内側にも、これとは別に3つの末社があるのですが・・・。この区切り方はどういう意味? ちなみに、この3社は、木野山神社(コレラ退散の神)、道通宮(祟りが怖い小蛇の神)、自然石を祀る名称不明の祠、です。なかなかにインパクトあるラインナップだな。
↓ 天神一社楊田神社の敷地を望む。塀の外(向かって右)にも複数の小祠が…。
↓ 天神一社楊田神社の塀外に建つ末社。手前左が「木野山神社」、
塀に区切られた敷地内に随身門から入ってみます。境内は奥行きのある細長い形。随身門正面の拝殿は簡素ですが、奥の本殿はそこそこ立派でした。
↓ 天神一社楊田神社の本殿
その本殿をよく見ると、扉に何やら目を引く浮彫り彫刻が・・・。翼を持った龍のようです。
寺社の彫刻で龍のモチーフはよくあり、他所でも翼を持った龍は見たことあるような気がしますが、こんなに翼が強調された龍も珍しい。
帰宅してから少し調べてみると、これは「応龍」または「飛龍」と呼ばれる中国の古い想像上の霊獣だそうです。龍の一種ですが、いわゆる普通の龍とは別モノ(龍の進化系)だそう。ここの飛龍のしっぽは、普通の龍と同じくトカゲ・ヘビ型のように見えますが、鳥の尾羽のようなしっぽ、魚の尾びれのようなしっぽを持つ形に表現されている飛龍もあるとか。寺社や神輿・山車の彫刻でしばしば見られるモチーフとのことです。普通の龍じゃないんだ・・・知らなかった。
わが寺社巡りのバイブル『岡山市の近世寺社建築—岡山市歴史的建造物 平成6・7年度調査報告』(1996年)で、天神一社楊田神社を調べてみると、「標準的一間社流造の本殿で、文政頃と思われる彫刻を多用する」と書かれていました(文政=1819年~1831年)。約200年前、まあまあ古い建物だ!
拝殿・幣殿は19世紀中期(石灯籠と同じ嘉永5年=1852年頃か)、随身門は19世紀後期(狛犬と同じ明治27年=1894年頃、あるいは玉垣の大正15年=1926年頃か)ということでした。外壁がトタン張りでちゃちく見えた拝殿・幣殿もそれなりに年代ものなんですね。拝殿の唐破風造の向拝軒下にも龍などの彫刻があったようで、もっとよく見ておけばよかった。
神社自体の説明としては、備前国神名帳(平安時代頃に作られ、中世・近世の写本が残る神社リスト)に「天神社」「楊田神社」と載っており、元々は別々の神社だったのが、石鳥居や本殿が造られた文政頃に合祀され、明治になって現在名に変更されたのではないか、と書かれていました。
御祭神は天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神。日本神話の天地の始まりで最初に登場する神々(造化三神)です。神社名の「天神」というのは、これらの神様を指しているようです。なので、天神社とはいっても、菅原道真とは関係ないもよう。
↓ 鳥居の扁額。「天神一社楊田神」と記されている。
楊田というのは地名だそう(この付近の小字名らしい)
近代建築好き・コンクリート好きとしては、神社のコンクリート塀(玉垣)も気になります。境内に建つ記念碑によると、大正15年(1926年)に造られたものだとか。石柱を並べる玉垣が一般的ですが、コンクリート塀の玉垣ってあまり見ませんよね。塀の内側に控え壁(支えの壁)まである本格的な造りです。玉垣築造の記念碑によると、摂政殿下(当時皇太子だった昭和天皇のこと)の岡山訪問を記念して建造したとのこと。けっこう気合を入れて作った玉垣のようです。本来なら石で作るところを簡略化してコンクリートにしたわけではなく、当時としてはモダンだったコンクリートでわざわざ作った、という感じだったのでしょうか。
帰りがけに随身門を覗いたら、中にちゃんと一対の随身像が祀られていて、それがあまりに素朴で可愛かったので写真に収めました。金網が邪魔で上手く撮れませんでしたが。
地味なローカル神社とはいえ、いろいろ楽しめました。雨が降っていたので、じっくりとは見れませんでしたが、渋染一揆資料館とセットでまたいずれ再訪したいと思っています。
by machiarukinote
| 2021-09-11 23:49
| 街歩きレポート
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