笠岡市金浦 「ようすな」街歩き |
金浦という町には以前から興味を抱いていました。というのも、JR山陽本線で通り過ぎる時の景色がいつも大変印象的だったので・・・。岡山から福山方面に向かう際、笠岡駅を出るとすぐにトンネルになり、それを抜けると、突如として鄙びた古い家並みと海面(船入り)が重なる独特の世界が現われるのです。これが金浦。ただ、笠岡の中心街からはトンネル、すなわち山ひとつを隔てており、ちょっとアクセスしにくいイメージだったので、これまで実際に行ったことはありませんでした。
町屋deクラスのリーフレットで金浦の講座を見つけて、いいな~とは思いましたが、決定打となったのは、先月の『イチョウ並木の本まつり』で、この金浦講座を担当するご当人に偶然お会いしたからです。2~3年前に「笠岡市地域おこし協力隊」として東日本から金浦に移住してきたという若い女性・相澤さんで、金浦に伝わる伝統工芸「麦稈真田」の継承に力を注いでおられるとのこと。笠岡伏越を取材した『街歩きノオト』にも興味を示され購入してくださいました。
あらためて調べてみると、JR笠岡駅から金浦の町までは路線バスがあることが判明。ただし本数は超少ない。が、バスに乗らずとも20~30分も歩けば行けそうです。徒歩での旧道沿いも良さげだったので、まずは徒歩で向かいました。歩き出して数分の地点で出会ったのがこの小橋。「称念寺橋」と記されています。竣工年は見当たりませんでしたが、デザインから見て昭和初期頃でしょうか。人造石研ぎ出し仕上げのコンクリート橋のようです。下流側の欄干は直線的ですが、上流側の欄干は片方橋詰だけが道なりにぐっとカーブしており、素敵な造形。蒲鉾型を区切ったような欄干の窓もいい。私好みのレトロモダンだわ。
この先、数分歩いて、笠岡市民病院前バス停からバスに乗りました。全部歩き通してもよかったのですが、ちょうどバスが来る頃合いだったのと、時間を節約して、集合時間より前に金浦の町を先に少し歩いてみたかったので・・・。集合場所を通り越して、町の奥のほうのバス停で下車。とりあえず金浦の八幡神社へと向かいました。金浦在住のある方から、ここの参道に性信仰の陽物像があるとお聞きし、気になっていたからです。八幡神社は、長い参道と、その先に続く石段、木立の中にたくさんの末社を持つ静かな境内が印象的な神社でしたが、陽物像らしきものは分かりませんでした。もっと具体的に聞いておけばよかった・・・。
次は、もう一つの気になるスポットへ。金浦の町には何本かの水路(掘割?)が通っているのですが、グーグルマップを見ていたら、道沿いでもない区画の真ん中あたりに水色で示された部分がポツンと一ヶ所あるのに気付きました。ストリートビュー(2013年2月撮影)で確かめてみると、道路から少し引っ込んだ低い所に水面のようなものが見え、そこに張り出すように木造のデッキが組まれ、隣接して古い平屋の民家も建っています。なんとも謎な空間・・・。
実際に行ってみると、ストリートビューで見えた水面は干上がっており、雑草が生い茂っていました。デッキも朽ち果て、残念ながら本来の風景からはかなりかけ離れた状態になりつつあるような・・・。今回は地元の人にお聞きする機会がありませんでしたが、またの機会に探究してみたいです(再訪する気満々!)。
時間が来たので集合場所へ。地域おこし協力隊の相澤さんに加え、地元のお年寄り二人の案内でまずは街歩きです。昔、金浦の浜にもいたというカブトガニの思い出や、有名な金浦の祭「おしくらんご」や「ひったか」の詳細説明など、地元ならではの情報も交え、分かりやすくガイドしてくださいました。ちなみに、笠岡市金浦の旧名は「西浜」で、「ようすな」と読みます。いわゆる難読地名ですね。金浦は小さな町のわりには神社や寺が多いとのことですが、岡山市南区の郡などと同じで、恐らく昔は相当栄えていて町に財力があったので、複数の寺や神社を支えられたのでしょう。
金浦は元々漁業の町として栄えましたが、昭和40年代の笠岡湾干拓に伴い漁業の廃業を余儀なくされ、現在漁師は一人もいないそうです。それでも、元庄屋の大豪邸を目にすると、往時の繁栄ぶりが偲ばれます。
また、昭和40年代までは栄えていたという元魚市場(魚問屋)も・・・。倉敷美観地区内にある(「くらしき宵待ちガーデン」隣の)元魚市場と似た感じですね。
特別に建物内に上げてくださった「報恩寺」も、こじんまりとして気取らない雰囲気ながら、趣きあるお寺でした。特に近代レトロ民家風の木造デッキ越しに眺める奥庭が風流で素敵でした。
予定の時間をオーバーしての大サービスの街歩きの後は、地域おこし協力隊の相澤さんが住む古民家にて待望の昼食、「漁師の海老カレー」です。これは、笠岡市内のカフェ「Tanacafe(タナカフェ)」店主さんがお祖母さんの特製カレーを再現したもの(ただし盛り付けはプロなのでお洒落にアレンジ)。タナカフェ店主さんの祖父母はかつて金浦で漁師をしており、当時漁で揚がった自家消費用のガラエビを使って、しばしば海老カレーや海老そうめん(めんつゆが海老出汁)を作って食していたそうです。海老カレーと聞いて、インド料理屋やタイ料理屋のメニューによくある単に具に海老を使ったカレーをイメージしていましたが、お話を聞くともっと手の込んだものだと分かりました。大量のガラエビを丁寧に身と殻に分け、殻で出汁を取るというやり方だそうです。実際食べてみると、カレーのスパイスに負けない濃厚な海老の旨みが感じられて驚きました。ガラエビは小さいので具自体はあまり目立たないのですが・・・。珍しい料理をいただくことができ、大満足でした。
そのあと、相澤さんの案内で築80数年の家の中を見学。昭和初期戦前の築なので、古民家としてはそう古いほうではありませんが、建具などに施された繊細な細工はさすが。普通の住まいには珍しく二階に設けられた縁側も素敵でした。さらに、相澤さんが取り組んでおられる麦稈真田もほんの少しだけ体験。麦稈真田とは、麦わらを平たくつぶして真田紐のように編んだもので、麦わら帽子の材料になります。かつて金浦では、副業のような形で麦稈真田が盛んに生産されていたそうですが、今はすっかり廃れてしまっているとか。相澤さんは金浦最後の麦稈真田職人ともいうべきご老人に付いて技術を学び、現在、ご自分でも真田を組んで帽子にまで仕上げています。まだまだ試行錯誤の途上で、本格的な製品販売までには至らないそうですが。
体験は、麦稈真田で簡易的なスプーンを仕上げる、という簡単な作業だったにもかかわらず、予想外に苦戦しました。こういうのはわりと得意なほうなのですが・・・。結局途中から組み方がよく分からなくなって、強引にスプーンの形にまとめてしまいました(汗)。
見学や製作体験に夢中になって、写真を撮り忘れてしまい、肝心の古民家内部や麦稈真田の写真がありません。あしからず・・・。
この後さらに、素朴なおやつ「麦こがし」とお茶を御馳走になり、全プログラムが終了。至れり尽くせりの3時間半でした。この時点でまだ午後2時だったので、個人的にさらに金浦街歩きを・・・。
相澤さんによれば、メインストリートにある旧庄屋・久我邸の斜め向かいに銭湯だった建物が残っているとのこと。先ほど通った時は気付きませんでしたが、行ってみると正面は確かに銭湯の造り。入口が二つ並んでいます。看板や男湯・女湯などの表示は見当たらないので、そうとう昔に廃業されているのでしょうか。
他にもこのメインストリートには、コテ絵装飾が面白い建物、趣きある看板建築、立派な「持ち送り」を持つ家などなど、目を引くものがいくつかありました。丁寧に見て行けばもっとあるかも。
千歳橋西詰に祀られている小さな神社「金毘羅宮」の玉垣にも注目。千歳橋と同時に作られたらしく、デザインが統一されているのです。橋の欄干と玉垣が同じデザインで人造石研ぎ出し仕上げ。橋の竣工年は分かりませんが、見た感じ昭和初期っぽい。神社の玉垣にしては洋風レトロモダン寄りなテイストで、面白いと思いました。
さて、あと一ヶ所、個人的に確認したかったのは「陰陽石神社」なる性信仰の小祠。わが手元にある58年前の本『岡山県性信仰集成』(発行:岡山民俗学会)に載っているものです。『街歩きノオト』第21号などでも大いに参考にしたこの本は、知られざる街角or路傍の民間信仰スポットのガイドブックとして大変役立ちます。性信仰に限定せずとも、普通の寺社案内には出ていないような超マイナーな神仏まで紹介されているので、何かと参考になるのです。
この「陰陽石神社」は笠岡市金浦西浜の西の山のふもとにある、と記されています。今から300年前の天明年間に金浦で性病が流行して以来、崇拝され、男性は男根、女性は女陰をまつるが、取り締まりがやかましくなって廃れつつある、とのこと。祠に小型の男根形奉納物や鉄製小鳥居(倉敷市小溝の穴場神社にあったのと同様のもの。たぶん女陰の象徴)が供えられている写真と、男根像の絵が描かれている奉納提灯の写真も掲載されています。
地元シニアの案内で廻った先ほどの街歩きの際、伝統行事「ひったか」の説明の中に「西の山」という地名が出てきました。金浦の背後(北)に連なる山のうち、吉田川のすぐ西に位置する山を指しているようです。そこで、西の山の麓にあるという陰陽石神社をご存知ですか?と尋ねてみると、さすが、知っているとのご返答。ただし今では地元でも知る人は少なく、祠も草木に埋もれているかも、とのこと。あの本が出版されてからさらに半世紀以上経ち、どうやらますます廃れているらしい。
とりあえず「西の山」の麓を探索してみることにしました。吉田川の向こうということなので、久我邸脇の千歳橋を渡って向こう岸へ。まずは吉田川に沿った北への道を進んでみました。山が迫っており、その麓の半ば斜面にへばりつくように民家が並んでいます。コンクリートで固められた民家の後ろの斜面を覘いてみますが、それらしい祠はありません。諦めて、今度は千歳橋から続く西への道をだどってみました。こちらも山が迫っており、道沿いぎりぎりに民家が建ち並んでいます。道がくねり民家が途切れ、左手にJR線路を見ながらさらに進むと、右手の山側斜面に墓地が現われました。墓地の端の一段高いところに小祠があり、その上さらに高いところに小堂が建っています。
この後、さらに道をぶらぶらと歩いて、JRの踏切を渡り水門が見える辺りまで進んでから、きりがないので引き返しました。数少ない路線バスは逃してしまったので、笠岡駅まで歩くしかないか・・・と思いながら先ほどの古民家のところまで来ると、ちょうど後片付けを終え、調理道具などを車に積んで帰る「タナカフェ」店主さん(&お手伝いのお母様)に遭遇。ありがたいことに同乗させてくださり、笠岡駅まで送っていただけました。助かった~!
おかげさまで実に充実した金浦訪問でした。またそう遠くないうちにぜひ再訪したいものです。次は、相澤さんお奨めの集落北エリアの路地散策も。