銭湯シンポジウム「地方の銭湯」 |
7月上旬に帰省した際は西日本豪雨に重なり、ネット予約していた行きの新幹線を二度も変更して、それでも運行情報と首っ引きで気を揉みながら丸一日遅れで出発しましたが、運の悪いことに、今回の大阪行きもまたもや逆走台風直撃のタイミング。岡山駅まで行くのにずぶ濡れになったものの(当てにしていた在来線が止まっていたため)、それでも新幹線や大阪の地下鉄は平常通りで無事行き着けました。
シンポジウムは、期待通りの、いやそれ以上の素晴らしい内容でした! 遠くからでも行ってよかった~。予定より少し伸びた5時間余りの発表タイムは、本当に充実していてアッと言う間でした。9人の演者の発表はどれも現場からの貴重な報告。レトロ銭湯好きたちの楽しい情報交換の場、みたいなゆるいイメージを想定していたら肩すかしを食らいます。今や滅びつつある昔ながらの銭湯をどう維持し再生していくのか、という難しい問題への実践的なチャレンジが次々に報告されるのですから。
演者の皆さんも初めは、単純にレトロ銭湯好きでそういう所をいろいろ巡って楽しんでいた人たちと思われますが、次々に消えていくレトロ銭湯の現実に心を痛め、何とかしたいと現場に飛び込んだ、という人がほとんどです。
その気持ち、とっても分かります。当シンポジウム主催者の松本康治さんが発表の中で話しておられましたが、自分の著書で紹介した矢先にその銭湯がバタバタと何軒も廃業した現実に衝撃を受け、このままではいかん!と思ったのが活動を始めた発端だそうです。モノを書いたり発信したりする人間は、そのことで応援したつもりになりがちですが(私もそうでしたが)、現実はそう甘くない。どんなに大々的に発信しても、それとは関係なく潰れる時は簡単に潰れるのです。結局だれかが、額に汗して実際に動かなければ何も起こらない・・・。そして、松本さんをはじめ実際に立ち上がった皆さん――今回報告された活動に関わっておられる方々の行動力には本当に頭が下がります。
私も近頃は、単におもしろレトロ物件を見つけて紹介するだけでなく、むしろその保存活用や復興のほうにより関心が向いています。といっても、まだまだ自分が主体的に活動しているわけではなく、話を聞かせてもらったり、ちょっと首を突っ込んでいる程度。今後、私ができること、すべきことは何だろう、といろいろ考えさせられました。
↓ 当シンポジウムの主催者であり演者もつとめた松本康治さん
しかし、どの報告も様々なご苦労が偲ばれる内容ではあるものの、やはり根底は「好き」でやっている楽しさや喜びが見えて清々しい。そして実際、試行錯誤の末に軌道に乗せ、成果を上げつつあるというところが何よりスゴイ。いろいろと参考になります。単に一銭湯を応援するにとどまらず、その地域のまち興しになっている点がミソだと思いました。それも外から来た好事家が勝手に引っ掻き回すというのではなく、銭湯経営者や地元の人々と信頼関係を築いて、協力のもと地元目線で活動を進める、というある意味当たり前なことをしっかり実行されています。簡単なようでなかなかできることではありません。
松本さんら「島風呂隊」が支援している兵庫県淡路市の「扇湯」、徳永さんら「KOKIN銭湯部」が支援している京都府舞鶴市の「若の湯」などなど、銭湯自体も魅力的ですが、地域としても、また、ここでしか買えないグッズや飲食も興味深く、聴いているうちに実際に行ってみたくなりました。上手だなぁ!
それから、京都「梅湯」の湊三次郎さんの報告も印象的でした。お洒落なシティボーイ風だった湊青年はますます泥臭い風貌になって、見た目からも風呂屋の番頭が板についてきた様子が分かります。単なる銭湯マニアの若者だった彼が、廃業する銭湯のあとを受けて経営に乗り出したのが約3年前。それから1年間くらいは物珍しさからマスコミ取材が相次いだこともあって、その奮闘ぶりはネットなどでよく見聞きしました。本当に大変そうで、一人ブラック企業みたいな状況。寝る間も惜しんでフラフラになりながらぎりぎりで回しているという感じに見受けられました。
ところが、今回の報告では、3年経ち、あらゆる方法を試してみた結果、今はしっかり儲かっています、とのこと。単に黒字になったというだけでなく、必要な人件費や今後の設備投資の見通し等、経営全体で考えても安心な状態になっているそうです。そして、今は「梅湯」以外の別の銭湯――隣接県の継続が危ぶまれている某レトロ銭湯の経営も考えているとか。「梅湯」でつちかったノウハウをもとに、危機に陥っているレトロ銭湯の助っ人、再生請負人として立ち上がったわけですね。なんと頼もしい! 何軒くらい経営するつもりですか?という客席からの問いには、迷わず「日本全国、各都道府県くらい!」との答え。思わず盛大な拍手を送りました。
湊さんの身は一つですので、すべての現場を取り仕切るわけにはいきませんが、彼には同年輩の仲間が大勢いるようなのです。湊さんのもとで銭湯修行した仲間が他地域の銭湯に入り、そこでまた現地の仲間を増やして・・・というような構図でしょうか。期待しています! この日、最高に明るい気持ちになったひと時でした。
↓ 京都「梅湯」の若き番頭(経営者)湊三次郎さん。銭湯界の希望の星です!
清心温泉復活基金からは、中心スタッフの松場さんが代表して発表。ここ2~3ヶ月、様々な地元マスコミの取材を受けて人前で話をしてきただけあって、今やもう堂々たるプレゼン。この日が寄付活動の最終日で、残念ながら目標額にははるかに届かなかったことが報告されましたが、この期限日時を「第一期限」と表現して、まだ活動には先があるかもしれないことを含ませていました。
演者のひとりで、福岡で銭湯ペンキ絵プロジェクトを手掛ける宇佐川さんからは、清心温泉をユニークな手法で盛り立てた二宮番頭さんへの熱い賛辞も・・・。また、同じく二宮番頭さんに惚れ込んでいる一人、神戸 芦原温泉番頭の安田さんも飛び入りで、熱く深い思いのにじみ出るトークを披露してくれました。そんなこんなで清心温泉アゲアゲムードになったせいもあって、会場に来られていた番頭さんにも思わず、ぜひ募金活動期限を延期してください!なんて声掛けてしまいました。
↓ 「清心温泉復活基金」の活動を報告する松場勇太さん。
しかし、後で冷静になって考えてみたら、今までと同じやり方でただ活動を延期するのは、番頭さんの精神的負担をいたずらに長引かせるだけで、マズイのではないかと思えてきました。7月30日付の清心温泉ブログでも吐露しておられるように、「最後はこの男が奇跡を起こしてくれるに違いない!」という周囲の期待が重くて苦しかった、とのこと。とにかく今は、期限の7月29日が過ぎてホッとしているというのが本音のようです。
シンポジウムの発表でもたびたび話が出ましたが、いくら周りで支援しても、当の銭湯経営者のモチベーションが高まらなくては始まらない、とのこと。成功例はそこのところがうまく行っているのです。親から受け継いだ愛着ある実家の建物であり家業であったからこそ、二宮番頭さんも張り切って取り組んで来られたのでしょうが、同じ場所とはいえ、まったく別の建物・設備になり、それも皆から寄付してもらって再建できたという負い目のようなものを感じながら、以前と同じモチベーションで果たして切り盛りできるか、というと難しいかもしれません。
とはいえ、西粟倉村の「木工房ようび」さんが活動に協賛して提示してくださっている、ありがたい再建案も捨てがたい。廃業した弁天湯さんが銭湯設備の提供を申し出てくださっている、というその熱い思いも・・・。何とかこれらが実現できたら・・・とつい考えてしまいます。目標の2千万円には届かなかったものの、多くの方々から実際に寄せられた寄付金・グッズの収益や温かいお気持ちも、もちろんそのままにできませんし。
近々、清心温泉復活基金のメンバーたちで今後を話し合う場が持たれるそうですが、もし続けるとしても、ここで一旦仕組みや組織を考え直して、別の形で出発したほうがいいのではないか、と思えてきました。せっかく今回のシンポジウムで様々な実例を学んだのですから、そのような例を参考に、また、必要とあらばアドバイスもいただいて・・・。そして、番頭さんにも納得できる未来の形を見つけられたら、と思っています。
以上、重い話ばかりになってしまいましたが、銭湯シンポジウムの報告と感想でした。