熱い!銭湯業界 |
常住寺の復活をめざしている永宗住職さんも言っておられましたが、2000万円なんてしかるべき働き掛けをすれば、そう長くかからずとも必ず集まるよ、とのこと。周囲に負担や迷惑を掛けるからなどと変に遠慮せず、思い切っていけばいい、と。寄付集め慣れしているお寺さんならではの発想なのかな、とも思いましたが、永宗さんも漫然と寄付を待っているわけではなく、天台宗本山である比叡山延暦寺などに頻繁に赴いて、偉い人たちに掛け合うなどして様々な協力を精力的にゲットしておられる様子。また、そのように額に汗して活動するお寺さんに、地域の人たちも心を寄せて、いい協力関係が出来上がっています。みんな張り切っていて、復興までのこの過程を楽しんですらいるようにも見えます。
清心温泉再建運動も、せめてあと半年は猶予が欲しい! 協力している人たちは多分、それほど負担に思っていないと思いますよ。私も含め・・・。むしろこのまま不完全燃焼で終わってしまうほうが嫌なんじゃないかな。番頭さん、ご再考お願いします!
清心温泉再建活動に関しては、銭湯業界全体からも次々に熱いエールが送られている模様。番頭さんブログによると、今年4月に廃業された岡山市北区富田町の「弁天湯」からも、本気で再建するならウチの設備を全部提供すると、激励の電話があったそうです。弁天湯さんには廃業間近に2回お邪魔しただけですが(→前ブログ)、番頭さんや女将さんの話しぶりからも熱い銭湯愛が察せられました。ただ惰性で営業しているだけと見られがちな銭湯ですが、このように強い使命感を持って頑張って営業を続けられている銭湯も多いのだろうなぁ、と再認識させられた次第です。あの弁天湯の設備が新生・清心温泉でまた生き返るのでしたら、こんな嬉しいことはありません。
↓ 弁天湯
関西地域では、銭湯ライターの松本康治さんらのご尽力で、清心温泉支援の輪が広がっているようです。清心温泉支援の「きびだんご」(利益はすべて寄付に回してくれるという)を販売する銭湯が京阪神のあちこちに・・・。私が京都旅行の際にお邪魔した「京極湯」や「長者湯」もその一つとのこと。どちらも銭湯も、番頭さん・女将さん共にとても気さくで、ウェルカムモード全開の素敵な銭湯でした(→前ブログ①、→②)。長者湯さんはちょっと話しかけただけなのに、「見てみる?」と釜場に招き入れてくれるというサービス精神が印象的でしたし、京極湯は色々楽しげな手作りグッズや装飾で少しでも盛り上げようというノリが面白かった。どちらも清心温泉にも通ずる心意気を感じるな、と思っていたので、この支援のニュースにはとりわけ心躍りました。
↓ 京都の長者湯
仕掛け人の松本さんのお話では、関西のこれらの銭湯では、清心温泉のことはよく分からないけど、きびだんごが手軽で美味しいので喜んで買っていく、というご高齢の常連さんたちが多いのだとか。楽しく支援という清心温泉復活基金の趣旨にもまさにかなっていますね。銭湯で他地方の安くて美味しいモノが手に入るって、なんかいいアイデアですよね。寄付と関係なくても、今後こういうシステム(?)が広がると楽しいかも。
ここまで支援の輪が広がっているのですから、清心温泉にはぜひ復活してもらわねば! 番頭さんブログによると、このたびの大雨で被災された真備町在住の常連さんからこんなメールが届いたそうです。「二宮さん、清心温泉、寄付集まっても集まらんでも復活させんといけんで! ワタシ、自宅と実家どっちも全壊。二重ローンになるけど両方再建するけーな。二宮さんは、実家(註:清心温泉のこと)だけじゃろ? みんなの応援もあるし。余裕じゃが(笑)」
その通り! 外部からは、3000万円で本当に銭湯が建つのか、とか、建ててもちゃんと経営が続けられるのか(1年くらいで潰れたでは済まない)とか、疑問の声も寄せられているそうですが、心配ないですよ。清心温泉はもともと浴槽がいくつもありサウナも備えるような、都会によくある豪華な銭湯ではないのです。再建するのもプレハブのような最低限の建物になると思いますが、清心温泉のお客たちは「場」が欲しいだけで、設備が貧弱だから来ないという発想はないですし。
そもそも清心温泉は銭湯で生計を立てているのではなく(番頭さんにはサラリーマンの本業があるので)、大損さえせず、カツカツでも何とか回ればOKというやり方でした。不定期営業で公衆浴場組合には加入できなかったため、燃料代とかの補助は全く受けていませんでしたが、岡山マラソンでの大入りや、比較的燃料代のかからない夏場の営業で余力を貯めるなどして、年間でならせば何とか赤字にならずに済んでいたようです。毎日ではないにしても、サッカーファンやマラソン参加者の利用が見込める立地というのは、やはり大きなメリットですしね。
いろいろ特殊すぎて、事情を深く知らない人々には今一つ理解しにくいのかもしれません。でも、一旦知れば、そのアバンギャルドさにハマること請け合いです。在りし日の清心温泉では、屋根瓦の破損も、トイレの水漏れも、ボイラーの修理も、常連さんたち自身やそのツテで来てくれたプロの人たちが勝手に(!)無償で直してくれたそうですよ。もちろん、焼き鳥テラスは実質的にほぼ客たちの自主運営でしたし。私も、女湯脱衣場の扇風機が壊れた時は(夏だったので暑くてたまらなかった!)、よほど寄付しようかと思いましたが、先に誰かが持ってきてくれたようでした。いつも脱衣場で便利に使っていた備え付けのボックスティッシュくらいは、私も補充を持っていきましたが・・・。ウチで余っていた缶ジュースとかね。
みんな清心温泉が自分んち感覚になっていて、こんなだったらいいな、とか、ないと不便だよな、とか思って、いろいろしていたのだと思います。ボランティアとか自主運営とか、そんな大げさな感覚ではなく。そして、そこまで愛される「場」を作り上げた番頭さんの采配もスゴイと思っています。
余談ですが、7月上旬に帰省した際に、子どもの頃時々行っていた地元の銭湯「世界湯」(東京都中央区日本橋人形町2丁目)に久々に行ってきました。子供の頃はすっごく大きいお風呂!と思っていましたが、改めて見るとそれほどの広さではありませんでした。このところ西日本の銭湯ばかり行っていたので、東京の銭湯を忘れていましたが、浴室の奥行きがあまりないのです。奥の壁際に横広に浴槽が設置されているためですね。
その幅広の奥壁に男女浴室ぶち抜きで描かれているペンキ絵は超ワイドな上に、描き替えたばかりだそうでピカピカ。これぞ東京の銭湯ですね! また、脱衣場と外の塀との間の狭い空間が和風の庭になっていて、ガラス戸越しに坪庭を愛でることができます。これも都会の銭湯ならでは。京都なんかでは時々見るけれど、岡山にはない洒落た造りですね。下足室や脱衣場の木造の内装やロッカーも昔ながらで、いい味出していました。番台の女将さんに聞いてみたところ、創業は昭和31年なのだそう。戦後なんだ。思っていたより新しい。あとで実家の父に聞いた話では、昔私たちが行っていた頃とは経営者が変わっているはず、とのことでした。まあ、それは銭湯ではよくあることらしいですが。
この世界湯は、東京都心では今や数少ない昔ながらの建物で営業する銭湯です。たまたま私が子供の頃行っていた銭湯がこんな形で残っているなんて、奇跡のよう。名物銭湯として今後も末永く続いていって欲しいものです。
↓ 世界湯。派手な宮造りが多い東京のレトロ銭湯にしては簡素な外観。
昔は、世界湯だけでなく、近所には他にもたくさん銭湯があったように記憶しています。東京でも岡山でも昔は銭湯密度が高かったようですね。父の話では、戦前は現在の実家のすぐ隣が銭湯だったとか。子供だった父はパンツ一丁で通ったそうです。また、ミシュラン3つ星レストランで有名になった高級料亭「玄冶店 濱田屋」の近く(日本橋富沢町2)にも小さな銭湯があったよね、と母に話したら、昔、私が赤ちゃんに近い幼児だった頃に一度連れて行ったことがある、とのことでした。当然記憶にはなく初耳。どうもしょぼい感じの銭湯だったため、その後は「世界湯」に切り替えたようです。
あと、日本橋人形町1丁目8番地あたりに「清水湯」というカッコいい銭湯があったこともはっきり覚えています。この辺りでは珍しい洋風看板建築風のモダンな建物だったような・・・。私は一度も入ったことはありませんでしたが、長生きした曾祖母はここによく通っていました。残念ながら今は跡形もないけれど、レトロ建築の本などには載っているそうです。ちなみに父の話では、当時のここの店主は東大出のインテリということでこの界隈では有名だったとか。高学歴でもあえて家業の銭湯を継いだなんて、よほど志があったんでしょうかね。
閑話休題。今度の日曜日、清心温泉復活支援を兼ねた銭湯シンポジウムが大阪で開催されるそうです。
主催は、松本康治さんら銭湯愛好家グループ「ふろいこか~プロジェクト」の面々。これは面白そう! 私も大阪まで日帰りで聴きに行くつもりでいます。会場の立地がまたスゴイ。なんとあの飛田新地料理組合の向かいの建物じゃありませんか。飛田新地といえば、今も生きている「赤線地帯」・・・。ストリートビューでつぶさに見て、実際に街並みを一度見てみたいな~と思っていた場所です。いかにもな建物が目白押し。営業中の時間帯にうろつく勇気はありませんが、シンポジウムが始まる前の朝のうちなら多分大丈夫だと思うので・・・。