2018年 04月 26日
イワナガヒメの故郷へ |
『ナンジャ・ジンジャ展』が終わった途端、怒涛の連続遠出のようになっていますが、先日の志度寺訪問に続き、今度は愛媛県今治市大三島の大山祇(おおやまづみ)神社へ日帰りで行ってきました。それも、穴場神社(倉敷市)氏子さんたちの参拝ツアーに特別に飛び入り参加させてもらうという形で。
穴場神社は、ジンジャ展に合わせて発行した『おかやま街歩きノオト』第21号や先月の毎日新聞岡山版コラム(最終回)に取り上げました。イワナガヒメを御祭神とする倉敷市中島"小溝地区”の氏神様です。女性の下半身の病に効く神様として、かつては遠方からも多くの参詣者を集めたという、独特の歴史を持っています。そのような民間信仰や習俗はとっくに忘れ去られているのかと思いきや、今も神社には当時の痕跡が残っており、そんな神社の歴史を氏子の方々が大切にしておられることも取材を通して知りました。
↓ 倉敷市の穴場神社 参道入り口
『街歩きノオト』に詳しく書きましたが、穴場神社は江戸時代に大三島(愛媛県)の大山祇神社境外摂社「阿奈波神社」から分霊勧請された神社です。つまり阿奈波神社は穴場神社のルーツ。大三島の阿奈波神社ももちろんイワナガヒメを祀る神社で、同じように女性の下半身の病や子宝にご利益があるとして信仰されています。阿奈波神社が所属する大山祇神社は、イワナガヒメのお父さんである山と海の神オオヤマツミを祀っており、全国のオオヤマツミ信仰(大山祇神社・三島神社)の大元締めのような存在として重要視されています。つまり大三島はイワナガヒメのご実家のような地。
あちらにもぜひ行ってみたいと思い、公共の交通機関で行く方法を調べてみましたが(福山まで新幹線、しまなみ海道縦断の高速バスで大三島へ、さらに島内の路線バスで宮浦港、という方法)、かなりな大旅行になりそうで躊躇していました。穴場神社を取材した際、そんな話を氏子役員さんたちにしたところ、毎年4月に、神社氏子たちで本宮である大三島の阿奈波神社へお詣りバスツアーをしているから、一緒にどうぞと誘ってくれたのです。
↓ 倉敷市の穴場神社 拝殿正面
穴場神社ではこのような参詣ツアーが長年続いてきたとのこと。地域の人たちの親睦とレクリエーションを兼ねているのでしょうが、それにしても今どき律儀にこのような団体参詣を続けているなんて、まるで昔のナントカ講のようで驚きました。地域活動にすごく熱心な地区なんですね。ラジオ塔で盛り上がっている津倉町町内会を思い起こしました。あちらは公園(上伊福西公園)が町民交流の拠点ですが、こちらは神社というわけですね。
さて、当日朝、小溝地区の集合場所へ参加費を携えて駆け付け、30数名の一行に合流。一人だけ知らない人が混じってる、と参加者が不審を抱かないようにと、バスの中で役員の方が、穴場神社を取り上げた新聞コラムのコピーを配って、皆の前で私を紹介してくれました。コラムにはいつも好き勝手なことを書いていますが、自分たちの神社を宣伝してくれたと喜んでいただけたようで、ホッとしました。
どんよりとした曇り空だった志度行きの時とは違って、この日はまぶしいばかりの快晴。しまなみ海道の海や島々の風景も一段と鮮やかに目に映ります。面倒な乗り換えもなく、午前10時台には大三島宮浦港へ到着。こういう時だけは、自動車ってほんと便利だな~とつくづく思います。
阿奈波神社は、宮浦港の南側に突き出ている岬の先端近く海沿いにあります。
上の写真で、左から延びる海沿いの参道の先に、緑色の屋根と赤い柱を持つ建物が建っているのが見えるでしょうか。下の写真はそこをズームしたものです。あれは休憩所で、その向こうに阿奈波神社の社殿がある・・・はずでした。ところが、一昨年6月の土砂崩れで、小さな本殿を残して社殿がすべて倒壊。今もまだ復興されていません。海沿いの参道も現在通行止めになっています。自己責任で通ろうと思えば何とか通れるそうですが、この道にも土砂が降雨のたびに流れ込んでいる状態だそうで、団体で行くには危険と判断して、今年の参拝は港から海越しに拝むにとどめるとのこと。このことは事前に知らされていたので、覚悟はしていました。
こんな穏やかな海のすぐ向こうに見えているのに行けないなんて、残念です。健在な頃に見てみたかったな。しかし、穴場神社氏子総代の石井さんが在りし日の阿奈波神社の写真や、土砂崩れ後の最近の姿を送ってくださり、掲載も許可していただいたので参考までに載せますね。
↓ 在りし日の阿奈波神社(穴場神社氏子総代・石井さん提供、2014年4月27日撮影)
↓ 被災後の阿奈波神社(穴場神社氏子総代・石井さん提供、2018年4月2日撮影)
もともと簡素な拝殿だったようですが、今はバラバラになった部材が隅に寄せられているだけで、まったくの更地。これでは復興にそうとう時間がかかりそうです。上に挙げた遠景写真からも分かるように、休憩所左上の山肌が大きくえぐれて土がむき出しになっているのが遠目にも見えて生々しい。こっちの土止め対策から始めるとなると、簡単には済みませんね。
拝殿の脇にあった小さな奉納殿も倒壊し、被災後しばらくは中にあった古い奉納物(木製男根形や赤い腰巻など)も放り出されていたようですが、視察した石井さんのお話によると、現在は少し場所をずらして仮の建物を建て、そこに収納してあるそうです。この点は少し安心しました。
ちなみに、昔はこの海沿いの参道は無くて、阿奈波神社へ行くには、岬を成す山(御串山)の中の山道をたどるしかなかったそう。また、しまなみ海道が開通するまではフェリーで大三島へ渡っていたそうです。今はバスで快適に直行できるけれど、昔は結構大変な道中だったらしい。それでも毎年参拝に訪れていたのだから、その熱心さに頭が下がります。
さて次は、阿奈波神社のボスである大山祇神社へ。阿奈波神社は大山祇神社の摂社(所属する神社)ですが、境内の外の飛び地のような場所にあるため、大山祇神社へ行くには、1キロ弱の距離を戻らねばなりません。ここはバスでサッと移動。
イワナガヒメの父オオヤマツミを祀る大山祇神社は、全国的に知られた超有名神社です。建造物も所蔵の宝物も国重文や国宝が目白押しというすごいレベル。一人角力(すもう)の神事も有名ですね。解説はいろんなところにいくらでも載っていると思うので、ここでは詳しい説明は省略します。
↓ 大山祇神社の二の鳥居と狛犬
穴場神社氏子御一行様は毎年恒例でこちらへ正式参拝をしているとのことで、私もご一緒させていただきました。国重文の拝殿に昇殿して、神主さんのお祓いを受けます。最後に巫女さんから盃にお神酒までいただくという本格的なもの。個人の訪問ではなかなかできない、貴重な体験をさせてもらいました。
↓ 大山祇神社の拝殿(昇殿入口)
そのあと、御朱印をいただいたり写真を撮ったりしていたら、境内にも阿奈波神社があるよ、と氏子役員さんが教えてくれました。境内末社「十七神社(十七社)」は横に細長い長屋状のやしろで、17の神様がまとめて祀られています。その中のひとつが阿奈波神社だというのです。見ると、窓口のように区切られて並んでいる各神社の一つに「阿奈波神社」と記された木札が掲げられています。出窓風に張り出したちょっと目立つ一区画です。

十七神社とは、伊予国一宮でもある大山祇神社が伊予国内の主要神社すべてをまとめて境内に祀ったものだそう。並ぶのは聞き慣れない神社名ばかりですが、帰宅してから御祭神を調べてみたところ、イワナガヒメをはじめ、コノハナサクヤヒメ、ヒコホホデミ、ホスセリ、クラオカミ、サルタヒコ、オオイカヅチ等々、お馴染みの神様がずらり。オオヤマツミ自身も名を連ねています。大山祇神社のコンパクトダイジェスト版みたいな感じ。
十七神社の建物は室町時代初期の築で、県指定の文化財。社殿内陣に安置されている木造神像17体は平安時代の作で国重文だそうです。イワナガヒメさまはどんな姿をしているのかな。神像は非公開だと思うので、知るすべはないけれど。
↓ 十七神社の建物(県指定文化財)
十七神社以外にも、境内には主祭神オオヤマツミにゆかりの深い神々が摂社・末社として祀られています。
本殿を囲む透塀の内側には、本殿を挟んで二つの摂社が並んで建っていますが、向かって右の「上津社」は上津姫とオオイカヅチ(雷神)を祀っており、向かって左の「下津社」は下津姫とタカオカミ(水源の神)を祀っています。オオイカズチとタカオカミは、一説によると(日本書紀の一書)オオヤマツミと共に3柱同時に誕生したとも言われています。『街歩きノオト』第21号にも書きましたが、京都の有名な貴船神社「結社(中社)」にイワナガヒメが一見唐突に祀られているのも、タカオカミ(貴船神社の主祭神)との関係によるものと思われます。
また、上津姫と下津姫が何者かははっきりしませんが、上津姫はイワナガヒメ、下津姫はコノハナサクヤヒメ(イワナガヒメの妹)とする解釈もあるそうです。
↓ 背後から見た大山祇神社本殿(中央)、上津社(左)、下津社(右)
本殿の裏手には「姫子邑神社」という末社があり、コノハナサクヤヒメ及び、その息子ヒコホホデミ(=ホオリ、山幸彦)とホスセリを祀っています(有名な海幸彦=ホデリでなくて地味なホスセリを祀っているところが意味深)。「安産祈願」「月まいり」と染め抜かれた赤い幟が賑やかに立っており、特にお参りの盛んな末社のように見受けられました。コノハナサクヤヒメは、夫ニニギとの間の子3人(ホデリ、ホスセリ、ホオリ)を火の中で無事出産したエピソードを持つことから、安産のご利益が設定されているのだと思います。
↓ コノハナサクヤヒメとその御子を祀る末社「姫子邑神社」
大山祇神社は、境内入口(二の鳥居の脇)に境内案内図が大きく掲げられてはいるものの、それぞれの摂末社に必ずしも名称や御祭神などの説明が付されているわけではなく、少々分かりにくいのが難点ですが(下調べが必要かも)、丁寧に見ていくと、神様たちのストーリーが感じられて面白い神社です。
正味の見学時間は比較的短時間だったにもかかわらず、とても充実した神社訪問でした。このような機会をくださった穴場神社氏子の皆様に感謝しております。とはいえ、大きな神社だけにまだ見足りない気分も・・・。国宝だらけの国宝館(展示施設)も必見だというし。機会があったら、また改めて訪問したいものです。阿奈波神社社殿が復興した頃にでも。
↓ 大山祇神社の御朱印。正式参拝の記念でいただいた杯とお守り。
その下の巾着型のお守りは匂い袋を兼ねたもの。白檀の香りが良かったのと、
海をデザインした柄がすてきだったのに惹かれて思わず購入しました。
穴場神社は、ジンジャ展に合わせて発行した『おかやま街歩きノオト』第21号や先月の毎日新聞岡山版コラム(最終回)に取り上げました。イワナガヒメを御祭神とする倉敷市中島"小溝地区”の氏神様です。女性の下半身の病に効く神様として、かつては遠方からも多くの参詣者を集めたという、独特の歴史を持っています。そのような民間信仰や習俗はとっくに忘れ去られているのかと思いきや、今も神社には当時の痕跡が残っており、そんな神社の歴史を氏子の方々が大切にしておられることも取材を通して知りました。
↓ 倉敷市の穴場神社 参道入り口

あちらにもぜひ行ってみたいと思い、公共の交通機関で行く方法を調べてみましたが(福山まで新幹線、しまなみ海道縦断の高速バスで大三島へ、さらに島内の路線バスで宮浦港、という方法)、かなりな大旅行になりそうで躊躇していました。穴場神社を取材した際、そんな話を氏子役員さんたちにしたところ、毎年4月に、神社氏子たちで本宮である大三島の阿奈波神社へお詣りバスツアーをしているから、一緒にどうぞと誘ってくれたのです。
↓ 倉敷市の穴場神社 拝殿正面

さて、当日朝、小溝地区の集合場所へ参加費を携えて駆け付け、30数名の一行に合流。一人だけ知らない人が混じってる、と参加者が不審を抱かないようにと、バスの中で役員の方が、穴場神社を取り上げた新聞コラムのコピーを配って、皆の前で私を紹介してくれました。コラムにはいつも好き勝手なことを書いていますが、自分たちの神社を宣伝してくれたと喜んでいただけたようで、ホッとしました。
どんよりとした曇り空だった志度行きの時とは違って、この日はまぶしいばかりの快晴。しまなみ海道の海や島々の風景も一段と鮮やかに目に映ります。面倒な乗り換えもなく、午前10時台には大三島宮浦港へ到着。こういう時だけは、自動車ってほんと便利だな~とつくづく思います。
阿奈波神社は、宮浦港の南側に突き出ている岬の先端近く海沿いにあります。


↓ 在りし日の阿奈波神社(穴場神社氏子総代・石井さん提供、2014年4月27日撮影)


もともと簡素な拝殿だったようですが、今はバラバラになった部材が隅に寄せられているだけで、まったくの更地。これでは復興にそうとう時間がかかりそうです。上に挙げた遠景写真からも分かるように、休憩所左上の山肌が大きくえぐれて土がむき出しになっているのが遠目にも見えて生々しい。こっちの土止め対策から始めるとなると、簡単には済みませんね。
拝殿の脇にあった小さな奉納殿も倒壊し、被災後しばらくは中にあった古い奉納物(木製男根形や赤い腰巻など)も放り出されていたようですが、視察した石井さんのお話によると、現在は少し場所をずらして仮の建物を建て、そこに収納してあるそうです。この点は少し安心しました。
ちなみに、昔はこの海沿いの参道は無くて、阿奈波神社へ行くには、岬を成す山(御串山)の中の山道をたどるしかなかったそう。また、しまなみ海道が開通するまではフェリーで大三島へ渡っていたそうです。今はバスで快適に直行できるけれど、昔は結構大変な道中だったらしい。それでも毎年参拝に訪れていたのだから、その熱心さに頭が下がります。
さて次は、阿奈波神社のボスである大山祇神社へ。阿奈波神社は大山祇神社の摂社(所属する神社)ですが、境内の外の飛び地のような場所にあるため、大山祇神社へ行くには、1キロ弱の距離を戻らねばなりません。ここはバスでサッと移動。
イワナガヒメの父オオヤマツミを祀る大山祇神社は、全国的に知られた超有名神社です。建造物も所蔵の宝物も国重文や国宝が目白押しというすごいレベル。一人角力(すもう)の神事も有名ですね。解説はいろんなところにいくらでも載っていると思うので、ここでは詳しい説明は省略します。
↓ 大山祇神社の二の鳥居と狛犬

穴場神社氏子御一行様は毎年恒例でこちらへ正式参拝をしているとのことで、私もご一緒させていただきました。国重文の拝殿に昇殿して、神主さんのお祓いを受けます。最後に巫女さんから盃にお神酒までいただくという本格的なもの。個人の訪問ではなかなかできない、貴重な体験をさせてもらいました。

そのあと、御朱印をいただいたり写真を撮ったりしていたら、境内にも阿奈波神社があるよ、と氏子役員さんが教えてくれました。境内末社「十七神社(十七社)」は横に細長い長屋状のやしろで、17の神様がまとめて祀られています。その中のひとつが阿奈波神社だというのです。見ると、窓口のように区切られて並んでいる各神社の一つに「阿奈波神社」と記された木札が掲げられています。出窓風に張り出したちょっと目立つ一区画です。


十七神社の建物は室町時代初期の築で、県指定の文化財。社殿内陣に安置されている木造神像17体は平安時代の作で国重文だそうです。イワナガヒメさまはどんな姿をしているのかな。神像は非公開だと思うので、知るすべはないけれど。

十七神社以外にも、境内には主祭神オオヤマツミにゆかりの深い神々が摂社・末社として祀られています。
本殿を囲む透塀の内側には、本殿を挟んで二つの摂社が並んで建っていますが、向かって右の「上津社」は上津姫とオオイカヅチ(雷神)を祀っており、向かって左の「下津社」は下津姫とタカオカミ(水源の神)を祀っています。オオイカズチとタカオカミは、一説によると(日本書紀の一書)オオヤマツミと共に3柱同時に誕生したとも言われています。『街歩きノオト』第21号にも書きましたが、京都の有名な貴船神社「結社(中社)」にイワナガヒメが一見唐突に祀られているのも、タカオカミ(貴船神社の主祭神)との関係によるものと思われます。
また、上津姫と下津姫が何者かははっきりしませんが、上津姫はイワナガヒメ、下津姫はコノハナサクヤヒメ(イワナガヒメの妹)とする解釈もあるそうです。
↓ 背後から見た大山祇神社本殿(中央)、上津社(左)、下津社(右)

本殿の裏手には「姫子邑神社」という末社があり、コノハナサクヤヒメ及び、その息子ヒコホホデミ(=ホオリ、山幸彦)とホスセリを祀っています(有名な海幸彦=ホデリでなくて地味なホスセリを祀っているところが意味深)。「安産祈願」「月まいり」と染め抜かれた赤い幟が賑やかに立っており、特にお参りの盛んな末社のように見受けられました。コノハナサクヤヒメは、夫ニニギとの間の子3人(ホデリ、ホスセリ、ホオリ)を火の中で無事出産したエピソードを持つことから、安産のご利益が設定されているのだと思います。
↓ コノハナサクヤヒメとその御子を祀る末社「姫子邑神社」

大山祇神社は、境内入口(二の鳥居の脇)に境内案内図が大きく掲げられてはいるものの、それぞれの摂末社に必ずしも名称や御祭神などの説明が付されているわけではなく、少々分かりにくいのが難点ですが(下調べが必要かも)、丁寧に見ていくと、神様たちのストーリーが感じられて面白い神社です。
正味の見学時間は比較的短時間だったにもかかわらず、とても充実した神社訪問でした。このような機会をくださった穴場神社氏子の皆様に感謝しております。とはいえ、大きな神社だけにまだ見足りない気分も・・・。国宝だらけの国宝館(展示施設)も必見だというし。機会があったら、また改めて訪問したいものです。阿奈波神社社殿が復興した頃にでも。
↓ 大山祇神社の御朱印。正式参拝の記念でいただいた杯とお守り。
その下の巾着型のお守りは匂い袋を兼ねたもの。白檀の香りが良かったのと、
海をデザインした柄がすてきだったのに惹かれて思わず購入しました。

by machiarukinote
| 2018-04-26 00:04
| 街歩きレポート
|
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