2017年 09月 26日
京都 異形の仏像「福田寺の龍神」 |
京都ではもう一ヶ所、これまた地味なお寺を訪問しました。変わった仏像好きの間では有名な、知る人ぞ知る「龍神像」が目当てです。龍神がおわす福田寺は、JR桂川駅と向日町駅との中間あたり、新幹線の線路に近いところ。中小の工場などが建ち並ぶ、どちらかというと殺風景な京都郊外です。普通、観光客はまず訪れないエリアでしょう。以前から噂には聞いていたので一度拝見したいと思ってはいましたが、何だかアクセスしにくそう。しかし改めて調べてみると、意外とバスの便が良さそうです。ぎりぎり市内均一料金で行ける範囲だし。龍神様は年に一度、地蔵盆の8月24日にしか開扉しないとのことですが、事前連絡して都合さえ合えば見せてもらえると知り、早速電話で予約しました。
お彼岸の期間なので、お寺の境内には裏の墓地へ墓参りに来た人たちもチラホラ。観光寺ではない小規模なお寺だけど、きれいに整えられたお庭やお堂が清々しい(そういえば、初日の是心寺もそうでした)。ご住職さんは、お彼岸で暇ではなかったろうに、丁寧に応対してくれました。
本堂もその傍らに建つ龍神堂もわりと新しめ。龍神堂の側面の戸から堂内に上がります。正面の戸は基本、年に一度の地蔵盆の日にしか開けないらしい。龍神様は雨乞いの神様なので、龍神堂の戸を開けると雨が降ってくるそうです。なので、地蔵盆の日は毎年ほぼ雨天なのだとか。テレビ取材で特別に開扉した時も雨が降って来ました、と住職さん。ちなみに、この日も午後遅くから雨との予報が早まって、福田寺を後にした頃(午前11時過ぎ)から雨に・・・。お堂の正面扉は開けてないけど、私が拝観せいかな。
龍神は二重の厨子に納まっていました。内側の厨子の扉裏には鮮やかな色彩で水流が描かれています。この厨子は恐らく江戸時代の作とのこと。
龍神像は写真では知っていましたが、改めて目の前にすると、他に類のない奇妙さに圧倒されます。手を前に組み膝をついて坐った褌一丁の裸体で、鬼神のような風貌(組んだ手の部分は後補)。表面の磨滅具合が奇怪さをさらに際立たせており、眼球が異様に飛び出ているのも妖怪じみています。筋骨隆々の体を強張らせていて、何かすごいパワーを秘めているな、という印象。
言い伝えでは、この像はかつて近くにあった「板井の清水」という湧水(現存せず)から出現したと言われており、以来、雨乞いの神として里人の信仰を集めてきたということです。干ばつの際にはこの龍神像を福田寺境内の屋外に出し、僧侶が祈祷する中、褌姿の男衆が板井の清水から汲んだ水を像に掛けながら、像の周りで踊ったのだとか。このような雨乞いの行事は昭和初期まで続いたそうです。長年水を掛け続けたから、こんなに表面が磨滅してしまったのかも。この龍神像の制作年代は不明だそうですが、平安時代前期にまで遡るとの説もあるとのこと。実際、平安時代末期の福田寺住職・俊恵(百人一首の歌人としても知られる)が雨乞いの祈祷をしたという記録もあるそうで、そんな昔からあったのかなぁと想像が広がります。
ご住職さんの説明によると、元々この像は、兜跋毘沙門天の眷属(脇侍)である鬼神・毘藍婆(びらんば)か尼藍婆(にらんば)だった可能性が高く、どういう理由からか、民間信仰の雨乞いの神に転じたのではないか、ということです。役の行者の眷属である後鬼・前鬼や、東寺などに祀られている夜叉神にも似ていますね。どっちにしても鬼系ですが。
無名に近いローカル仏像だったこの龍神像が注目されたのは、みうらじゅん・いとうせいこうコンビによる『TV見仏記』(2001年から続くローカルテレビ番組)で取り上げられたのがきっかけだそうです。私はこの番組自体は見ていませんが、やはり私も見仏コンビお奨めの変な仏像ということで龍神像の存在を初めて知りました。みうら・いとう両氏がなぜこの龍神の存在を知ったのかは分からない、とご住職さんは話しておられましたが、HPなどによるご住職の地道なアピール作戦が功を奏したのかもしれませんね。
福田寺は奈良時代に行基が開いたと伝わる、古い歴史の寺院です。行基は伝説としても、奈良末期~平安初期には寺の原型が存在していたのではないでしょうか。この辺り(旧乙訓郡)は、平安京遷都までは現在の京都中心地よりもずっと文化の発達した地域だったわけですから。昔の福田寺は広大な寺域を持つ大寺だったそうです。しかし、その後衰退してしまったらしく、ここ何代かは尼寺だったとか。それなりに保持していた地所も、老朽化した本堂を建て直す資金捻出のため昭和高度成長期に売り払ってしまい、現在のようなこじんまりとした姿になったとのこと。現住職がこの寺の住持に就いたのは平成になってから。久々の男性住職だそうです。
この福田寺は宗派のお寺ヒエラルキーの中でも最下層です、檀家もないですから、とご住職。福田寺が大寺だった頃は、複数の末寺を持ち、その末寺がそれぞれ檀家を抱えていたため、末寺に支えられていた福田寺は経済的に安泰でしたが、仕組みが変わって、各寺が独立した別々の寺になった結果、檀家を持たない福田寺は経営が苦しくなったのだとか。あれ?裏に墓地があるじゃないですか、と指摘すると、あれはかつて末寺だった祐楽寺の墓地だと言います。もっともこのご住職はその祐楽寺の出身で、兼務で福田寺を預かる形になっているため、現在の福田寺と祐楽寺は経営が一体化しているも同然のようですが。お寺さんも色々と大変だ・・・。
現住職の代になって、せっかく古い歴史を持つお寺なのだから、もっと皆に知ってもらおうとHPを作るなどして発信し始めたのだそう。ただし自分はアナログ世代でITには疎いため(HPは友人に作ってもらったとか)、連絡はメールでなく、電話でお願いしますとのことでした。

せっかくなので本堂も拝観させていただきました。本尊は地蔵菩薩と釈迦如来の二体。本尊が二つなのは珍しいそうです。どちらも一木造の立像で、平安前期の作とのこと。いわゆる貞観仏という部類ですね。私の好きなタイプだわ。ただ、二体とも後世に表面を彫り直してしまっているため、文化財指定には至らなかったそう。惜しい!
本尊の両脇を護る武将姿の仏像は持国天と多聞天。これも相当古そうです。福田寺が大寺だった頃に置かれていたであろう四天王の残存だろうというお話でした。また、本堂内には弘法大師空海の坐像もあります。現在の福田寺は浄土宗ですが、かつては真言宗だったそうです。お寺の宗派が時代に流れで変わることは珍しくありませんが、こんなにあからさまに前宗派の名残りが残っているのは珍しいらしい。
浄土宗らしくないと言えば、本尊も同様。浄土宗の本尊はふつう阿弥陀如来なのに、ここは全く違うから。色々と変則的なお寺のようです。奇っ怪な龍神だけでなく、〝不思議”の多いお寺ですね。
言い忘れましたが、龍神堂には摩耶夫人像と夜叉神も共に祀られています。どちらも不思議な仏様(神様?)です。摩耶夫人像は唐から弘法大師が持ち帰ったと伝わる小さな檀像(白檀などの香木を刻んだ仏像)で、仏陀の母・摩耶夫人が脇の下から仏陀を出産している姿を表現しています。立ち姿の女性の袖の下から子供のようなものがニュルッと出てきてぶら下がっている、という変わった仏像。仏教では仏陀誕生の定番図像とはいえ、実際に造形されているものはわが国ではそう多くはないようです。東博所蔵の法隆寺宝物銅製小像(重文)が有名ですが。
ここの夜叉神は、当地で長らく信仰されてきた長男の守り神だそうです。この地域では長男が生まれると15歳までの間に夜叉神の行事をするのだとか。いわば長男限定の七五三みたいなものかな。しかし少子化で対象の子供が減った上、行事にはお金がかかるので(よほど盛大な行事なのでしょうか)、近年急速に廃れてしまい、お役御免で福田寺に納められることになったのだそう。元々は地域の当番の家が一定期間自宅に預かり廻していくという神様(仏様?)でしたが、いろいろタブーがあって、お世話に女性が関わってはならず、男性当主が毎日自ら米を洗ってお供えするなど、現代生活にはそぐわず(お父さんが出張に出たらアウトですね)、そういう点でも持て余されてしまったらしい。
小型の厨子のようなものがガラスケースに入れられて安置されていますが、開けたことがないので中身は分からないとのこと。当番の家が預かっていた頃にも開けることはなかったそう。誰も姿を見たことのない夜叉神。ミステリアスです。

というわけで、龍神以外にも謎めいたものだらけの福田寺。京都の中心街からはかなり離れているし、見た目も新しめの(建物が新しいので)小さなお寺ですが、平安京以前から乙訓の地で悠久の時を重ねてきた古代の残像のようなものを感じさせます。古いからこそ、今やわけが分からなくなってしまっているのでしょうね。理屈でない土俗的なものって好きだなぁ。
ここ福田寺では、仏様の写真を撮るのもネットに上げるのもOK、どんどん宣伝してください、多くの人に拝んでいただきたいので、ということでした。といって拝観料を取るでもなく・・・。私は、龍神の御朱印を頂いた時に御朱印料にほんの少しだけ上乗せしましたが、じっくり1時間ほども一対一で対応してくださり、申し訳ないくらいです。まさに京都観光の穴場中の穴場。興味深いのは龍神だけではありません。福田寺、お奨めです。



龍神像は写真では知っていましたが、改めて目の前にすると、他に類のない奇妙さに圧倒されます。手を前に組み膝をついて坐った褌一丁の裸体で、鬼神のような風貌(組んだ手の部分は後補)。表面の磨滅具合が奇怪さをさらに際立たせており、眼球が異様に飛び出ているのも妖怪じみています。筋骨隆々の体を強張らせていて、何かすごいパワーを秘めているな、という印象。


無名に近いローカル仏像だったこの龍神像が注目されたのは、みうらじゅん・いとうせいこうコンビによる『TV見仏記』(2001年から続くローカルテレビ番組)で取り上げられたのがきっかけだそうです。私はこの番組自体は見ていませんが、やはり私も見仏コンビお奨めの変な仏像ということで龍神像の存在を初めて知りました。みうら・いとう両氏がなぜこの龍神の存在を知ったのかは分からない、とご住職さんは話しておられましたが、HPなどによるご住職の地道なアピール作戦が功を奏したのかもしれませんね。
福田寺は奈良時代に行基が開いたと伝わる、古い歴史の寺院です。行基は伝説としても、奈良末期~平安初期には寺の原型が存在していたのではないでしょうか。この辺り(旧乙訓郡)は、平安京遷都までは現在の京都中心地よりもずっと文化の発達した地域だったわけですから。昔の福田寺は広大な寺域を持つ大寺だったそうです。しかし、その後衰退してしまったらしく、ここ何代かは尼寺だったとか。それなりに保持していた地所も、老朽化した本堂を建て直す資金捻出のため昭和高度成長期に売り払ってしまい、現在のようなこじんまりとした姿になったとのこと。現住職がこの寺の住持に就いたのは平成になってから。久々の男性住職だそうです。
この福田寺は宗派のお寺ヒエラルキーの中でも最下層です、檀家もないですから、とご住職。福田寺が大寺だった頃は、複数の末寺を持ち、その末寺がそれぞれ檀家を抱えていたため、末寺に支えられていた福田寺は経済的に安泰でしたが、仕組みが変わって、各寺が独立した別々の寺になった結果、檀家を持たない福田寺は経営が苦しくなったのだとか。あれ?裏に墓地があるじゃないですか、と指摘すると、あれはかつて末寺だった祐楽寺の墓地だと言います。もっともこのご住職はその祐楽寺の出身で、兼務で福田寺を預かる形になっているため、現在の福田寺と祐楽寺は経営が一体化しているも同然のようですが。お寺さんも色々と大変だ・・・。
現住職の代になって、せっかく古い歴史を持つお寺なのだから、もっと皆に知ってもらおうとHPを作るなどして発信し始めたのだそう。ただし自分はアナログ世代でITには疎いため(HPは友人に作ってもらったとか)、連絡はメールでなく、電話でお願いしますとのことでした。

本尊の両脇を護る武将姿の仏像は持国天と多聞天。これも相当古そうです。福田寺が大寺だった頃に置かれていたであろう四天王の残存だろうというお話でした。また、本堂内には弘法大師空海の坐像もあります。現在の福田寺は浄土宗ですが、かつては真言宗だったそうです。お寺の宗派が時代に流れで変わることは珍しくありませんが、こんなにあからさまに前宗派の名残りが残っているのは珍しいらしい。
浄土宗らしくないと言えば、本尊も同様。浄土宗の本尊はふつう阿弥陀如来なのに、ここは全く違うから。色々と変則的なお寺のようです。奇っ怪な龍神だけでなく、〝不思議”の多いお寺ですね。
言い忘れましたが、龍神堂には摩耶夫人像と夜叉神も共に祀られています。どちらも不思議な仏様(神様?)です。摩耶夫人像は唐から弘法大師が持ち帰ったと伝わる小さな檀像(白檀などの香木を刻んだ仏像)で、仏陀の母・摩耶夫人が脇の下から仏陀を出産している姿を表現しています。立ち姿の女性の袖の下から子供のようなものがニュルッと出てきてぶら下がっている、という変わった仏像。仏教では仏陀誕生の定番図像とはいえ、実際に造形されているものはわが国ではそう多くはないようです。東博所蔵の法隆寺宝物銅製小像(重文)が有名ですが。

小型の厨子のようなものがガラスケースに入れられて安置されていますが、開けたことがないので中身は分からないとのこと。当番の家が預かっていた頃にも開けることはなかったそう。誰も姿を見たことのない夜叉神。ミステリアスです。

というわけで、龍神以外にも謎めいたものだらけの福田寺。京都の中心街からはかなり離れているし、見た目も新しめの(建物が新しいので)小さなお寺ですが、平安京以前から乙訓の地で悠久の時を重ねてきた古代の残像のようなものを感じさせます。古いからこそ、今やわけが分からなくなってしまっているのでしょうね。理屈でない土俗的なものって好きだなぁ。
ここ福田寺では、仏様の写真を撮るのもネットに上げるのもOK、どんどん宣伝してください、多くの人に拝んでいただきたいので、ということでした。といって拝観料を取るでもなく・・・。私は、龍神の御朱印を頂いた時に御朱印料にほんの少しだけ上乗せしましたが、じっくり1時間ほども一対一で対応してくださり、申し訳ないくらいです。まさに京都観光の穴場中の穴場。興味深いのは龍神だけではありません。福田寺、お奨めです。
by machiarukinote
| 2017-09-26 12:12
| 街歩きレポート
|
Comments(0)

