京都旅行してもあまりメジャーな観光スポットには行かない私ですが、今回はいつもに輪をかけて超地味な寺社へ行ってきました。京都市内でまだ見残している八瀬のラジオ塔を見ようと計画し、周辺に何か他に見どころは無いかと探していた時に、「十王堂橋」というバス停の名前に引っ掛かりました。叡山電鉄の岩倉駅近くです。
十王というのは閻魔大王を含めた地獄の裁判官たち。閻魔様への信仰に代表されるように、仏教において、あの世での寛大な裁きを願う信仰の対象として畏怖されてきました。京都での閻魔様信仰というと、六道珍皇寺や千本ゑんま堂のようなお盆の行事と結びついたものしか知らなかったので、これは一体どういう種類のものなんだろうとにわかに興味津々。
ネット検索してみると、情報はわずかだったものの、ここの十王は現在は近くの是心寺というお寺に移されているとのこと。そこで是心寺を検索。岩倉の実相院近くにある臨済宗のお寺と判明しましたが、観光対応しているようなお寺ではなさそう。それでも、是心寺の十王像について触れた文章が2~3見つかり、十王像の写真も1枚だけありました。なかなか立派な群像です。わ~、これは実見したい! しかし、それらによると地蔵盆の8月24日にしか開扉しないとか。ただし、事前に連絡すれば見せてもらえるっぽい、とも書かれていました。
そこで電話で問い合わせてみると、開扉するのは年4回、正月元旦と地蔵盆と春秋の彼岸の入りの日だと教えてくれました。聞けば秋の彼岸の入りは9月20日なので、ぎりぎり私の旅程にも引っかかります。ラッキー! ただし東京からの移動日なので間に合うか・・・と迷っていたら、翌日でも寺に人はいるので開けますよ、とのこと。保険を得て一安心しましたが、私一人のためにお手を煩わせるのも恐縮なので、20日に頑張って向かいました。京都の中心街からはかなり外れた田園地帯です。
山門の外の脇に新しめのお堂があり、正面の戸が開け放たれています。覗くとずらりと並んだ地獄のメンバーが・・・。おおっ! 一回り大きい閻魔大王を中心に、両脇にはお馴染みポーズの司録・司命(地獄の書記官)、さらに十王たちが取り囲み、向かって右端には奪衣婆も。どれも彩色がよく残り、写実的なカッコいい像です。端正だけどややおとなしめな雰囲気からすると、江戸時代ごろの作でしょうか(すごくザックリした見立てですが)。それでも、東京などでよく見られるマンガチックでキッチュな閻魔像や奪衣婆像に比べるとはるかに洗練されて出来がいい! さずが京都というべきか・・・。
20日の開扉日に間に合ったので、明日の約束は必要ない旨を伝えようと、奥に赴くと住職さんが出て来られて、どうぞ上がってよく見てください、と十王堂の横の扉を開けて中に招き入れてくれました。電話で家のものが写真撮影は不可と伝えたようですが、撮っても構いませんよ、との寛大なお言葉。ならばとばかり、激写しまくりました。とはいえ、大事な信仰の対象である仏様の姿が軽々しくネットに上がることを快く思わない方もおられるでしょうから、ここに載せるのは控えめにしておきますね。
よく見ると、脇の間に十王の一人のような像が一体だけ離れて置かれています。十王とは閻魔様も含めて10人。中央の間にはすでに10人の冥官が並んでいます。これは誰ですか、とご住職さんに尋ねると、よく分からないので、とりあえず別に安置してあるとのこと。十三仏という信仰があるが、十王プラス司録・司命、奪衣婆で13人。この人を入れると14人になってしまうけれど、あるいは昔は別の信仰があったのかも、ということでした。むしろ奪衣婆がオプションで、この正体不明の人(仏)を入れて「王」的な人たちだけで13人なのかも、とも思えましたが・・・。でも、ビジュアル的には奪衣婆を入れて並べたほうが、やっぱりアクセントになっていいよね。
元の十王堂は明治時代初期に廃れ、中の像だけがこの寺に移されたのだそうです。元の十王堂があった所は、岩倉川に架かる橋のたもとで、川向うが墓地だったために岩倉川が三途の川に見立てられて、そのほとりに十王が祀られたのだそうです。昔は墓地で葬式が行われたので(自宅や寺でではなく)、死者を連れて三途の川を渡り、十王を拝んでから墓地に向かうという見立て行動がよりリアルだったとのこと。ここだけでなく、各地にそういう場所があったはず、と説明してくれました。なお、ここの十王像の制作年代は不明だそうです。
十王堂の元地はここからそう遠くないので(南へ600~700m)、ついでにちょっと寄ってみました。十王堂橋という橋が架かっていて、その西詰北側に石灯籠などに囲まれた小さな祠があります。かつてここにお堂があってあの十王像が安置されていたのだそう。現在の祠には役の行者の小像が祀られていました。
さて、この日は是心寺を訪ねただけで時間いっぱいだったので、上高野~八瀬方面の散策は翌日に回しました。同じ方面に再度赴くという二度手間になってしまうけれど、素敵な地獄群像をゆっくり堪能できた満足には替えられません。ところで、叡山電鉄沿いの鞍馬駅の近く(手前)に、もう一つ「十王橋」というバス停を見付けました。地図で確かめてみると、こちらにも十王堂があるようです。気になるので、どうせならここも見てみようと、2日目は八瀬方面へ行く前にまずこちらに足を延ばしました。
降り立ったバス停のすぐ目の前には「十王堂橋」という橋がありました。下を流れるのは鞍馬川。十王堂はそこから南へ100mほど行ったところ。正面の扉は閉まっており、ごつい錠がしっかりかかっています。
しかし、障子戸の中央部分に覘き穴があったので覗いてみると、おお!おられました、堂々たる地獄群像。障子越しにもれるわずかな光だけなのと、手前に置かれた祭壇などが邪魔をしてはっきりとは見えませんが、15~6体の坐像が2段に並んでいます。中央にいるはずの閻魔大王が手前の地蔵の厨子(?)の陰になって全く見えないのが残念。どれも黒光りする無彩色の像。お堂内部の暗さと相まって、不思議な迫力です。(写真は露出をめいっぱい明るい方側にして撮ったので、実際よりはるかに明るく映っています。)
向かって左の壁に古そうな額が掲げられていたので、とりあえず撮影。あとで写真を確認してみたら、案の定、十王の名を金文字で列記した漆塗りと思われる額でした。
確かに法冠道衣姿の像が10体くらいあるように見えます。それとは別に、司録と思われるポーズの像も。司命や奪衣婆は見当たりませんでしたが・・・。あるいは陰になっているのかな。あと、司録の左隣の像が、白塗りの顔の若者か女性のようで気になりましたが、これも燈明台のような仏具の陰になってよく見えず。他の十王とは若干作風の異なる彩色の残る像です。こんな地獄メンバーいたっけ? いずれにしても、十王以外の像も混ざっているようです。
隣家の女性がたまたま玄関先に現れたので、この十王堂について尋ねてみました。このお堂を管理しているのは、近くの地蔵寺というお寺だそう。帰宅してから調べてみたら、地蔵寺は叡山電鉄鞍馬駅の少し先でした。是心寺の十王堂のように開扉日が決まっているのかと思い、この女性に聞いてみると、特にそういう日はないとの答え。地蔵盆の時に開けて、地域の者が掃除するくらいかな、と。あと、地域で葬式がある時には、葬列がここに寄って挨拶するくらいかな、とも。
ここの十王堂は、是心寺のご住職さんが話しておられたような、昔ながらの送葬の行事に、今も密接に関わっているのですね。役割がちゃんと生きているというか・・・。お堂の前に屋根を掛けたかなり広いスペースがあるのは、送葬行列がここで儀式をするための場所なのかも。そう思ったら厳粛な気分になって、のんきに写真を撮っていることが何だか不謹慎に思えてきました。叡山電鉄沿いとはいえ、かなり山深い所で、周囲の民家も簡素ながら端正な伝統的造りです。舞台装置はバッチリという感じ。日本にはまだまだこういう所があるんだ・・・と感じ入りました。
ところで、最初の是心寺では、十王堂の御朱印もいただけました。印などは普段は本寺(別の所?)に置いてあるとの理由で書置きの一枚ものではありますが、ご住職さんがちゃんと月日を記入してくださいました。拝観・見学の対応を全くしていないわけではないようです。地獄系専用にしている御朱印帳にまた一つ貴重な御朱印が加わって大満足。京都の超・超穴場だと思います。