東京 地獄めぐり① |
今回のテーマは、東京の閻魔さまと奪衣婆。いや、たかが帰省でそんなきっちりテーマ設定しているわけではないのですが、ただ漫然とどこへ行こうかな、ではかえって迷うばかりなので、思い付きで決めました。以前読んだ奪衣婆の本が面白かったし(→前ブログ)、京都では閻魔さま系のお寺にいくつか行ったし。有名美仏も嫌いじゃありませんが、やはり私としては庶民派ヘンテコ系に惹かれてしまいます。
あ、一応、閻魔さまなどの地獄メンバー像は仏像です。仏教の教えに基づくものですから。奪衣婆は、前ブログでも説明したように、三途の川のほとりで、やってきた亡者から衣を剥ぎ取って、その衣の重さでその亡者の罪の重さを量るという役割の鬼婆。正式な裁きは地獄の裁判官である閻魔大王や同僚の十王たちが執り行いますが、その前にざっと仕分けするらしいです。奪衣婆の仕分けで、三途の川の渡り方が違ってくるのだとか。善人→橋で渡る、罪の軽い人→浅瀬を渡る、罪の重い人→急流の深みを渡る、という具合。
↓ 法乗院(江東区、→後述)に掲げられている地獄極楽絵の一部。
画面中ほど左寄りにいる白髪の鬼婆が奪衣婆。亡者の衣をはぎ取っているところ。
地獄で働くスタッフといえば上は閻魔様から下は獄卒の鬼まで大勢いる中、奪衣婆は死んだ人が最初に出会う地獄スタッフであるせいか、いつしか庶民の間では大きな存在になっていき、民間信仰においては閻魔大王と並ぶ地獄の主として大いにあがめられたのだそうです。受付嬢が女社長に大出世って感じかな。
閻魔さまは全国各地で崇められていて、地域的な偏りはないようですが、奪衣婆に特化した信仰は東日本が中心のように感じます。奪衣婆が単独で、あるいは閻魔大王と同格のような立場で祀られているのは、京都・奈良などの古都を含め、西日本ではあまり見かけないような・・・。閻魔大王をはじめ、地獄のあれこれを強く意識する思想は平安時代から盛んになってきたものなので古い信仰ですが、奪衣婆を特にフィーチャーして崇める民間信仰は江戸時代末期から起こった比較的新しいものなのだそう。
ネットでちょっと調べてみたら、東京には「江戸四十四閻魔めぐり」という霊場巡礼もある(あった?)とのこと。リストを載せているサイトもありました。これに、奪衣婆オンリーのお寺も加え、アクセスのよさそうな所をいくつか選んで訪ねてみました。基本、閻魔さまの縁日である1月16日と7月16日にしか御開帳しないという所が多いのですが、普段でも格子戸の隙間、あるいはガラス戸越しに拝見できる所もあると聞いたので。
訪ねた順に紹介します。
まずは、世田谷区上馬の宗円寺。高速道路が上を走る多摩川通り沿いという大都会な立地のお寺ですが、ここの境内には奪衣婆が祀られています。山門をくぐってすぐ左手の小さな祠がそれらしい。祠の中は暗いし、格子戸のガラスも埃で曇っていて超見えにくいけれど。扉は通常は開けないそうなので、ガラスにカメラのレンズを押し当てて何とか撮影。肉眼で見るより、意外としっかり写りました。カメラの機能のおかげです。
↓ 宗円寺(世田谷区)の奪衣婆。通称「しょうづかのお婆さま」
なんか訳の分からない絵ヅラになっていますが、綿にくるまれた奪衣婆の木像です。そんなに大きなものではありません。説明書きによると、江戸時代初期からこの寺に祀られていて、疫病よけ、特に咳に効くというご利益があるのだとか。このお婆さまを拝んで治った暁には、お礼に綿とお茶をお供えするというのが習わしなんだそうです。この写真には写っていませんが、確かに像の前には、開封前の脱脂綿の大袋や茶筒なども供えられていました。毎月8の日が縁日だそう。今でもちゃんとお祭りしているのですね!
次は、世田谷区奥沢の浄真寺。一般には九品仏(くほんぶつ)の通称で知られている浄土宗のお寺です。東京ではとても有名な歴史ある寺院で、東急大井町線の駅名にもなっていますが、私はこれまでご縁がなく初の訪問。自由が丘や田園調布にも近いこのエリアは、都区内とはいえかなり郊外な雰囲気です。さすがに家や商店はびっしり建っていますが、高いビルなどはありません。九品仏駅から少し歩くとすぐに参道の並木道が現われ、ここを100mほど歩いて境内へ。なんか・・・すごく広くて立派な大寺ではないですか! 参道といい境内といい、大きな木々が茂って緑濃く、そんな中に堂々たる仁王門や御堂がいくつも散在しています。東京じゃないみたい! ちょっと想像していたのと違いました。
目当ての閻魔&奪衣婆像は、総門を入ってすぐ右側の閻魔堂に安置されていました。正面に閻魔さま、その右側に奪衣婆の像があるだけで、何の装飾もないシンプルなお堂ですが、入り口は広く開け放たれていて自由に中へ入れます。お像を間近に見られるのが嬉しい。
↓ 九品仏浄真寺(世田谷区)の閻魔大王。高さ2mを超す大きな坐像です。
↓ 九品仏浄真寺の奪衣婆(葬頭河婆)。閻魔像よりやや小ぶり。
閻魔さまは正統派のカッコいい造形。対する奪衣婆はかなり個性的。カラフル(?)なペインティングも、所々の剥げ落ち具合もキッチュないい味出してます。いかにも庶民的な民間信仰って感じ。閻魔は江戸時代の作というざっくりした情報が見つかっただけで、どこを探しても歴史的な情報がまるでないのが残念ですが・・・。文化財的・宗教的価値はあまり認められていないもよう。有料のお寺の解説パンフレットでも完全無視でした(せっかく買ったのに!)。
ところで九品仏とは九体一揃いの阿弥陀如来を指していて、境内の最奥部には3体ずつの阿弥陀像(丈六坐像。かなり大きい!)を納めた阿弥陀堂がデーンと3棟並んで建っています。仏像も御堂も開山当初の江戸初期に作られたものだそうで、珍しい形式だけに文化財的にも大変重んぜられているらしい。このお寺には阿弥陀さまのみならず、二十五菩薩像(通常非公開)や六地蔵の石像なども置かれていて、まさに仏教的あの世ワールド。さらに、来迎会の行事も3年に一度行われているとか。仮面をかぶって二十五菩薩に扮した人々がパレードして、極楽往生の様子を再現する演劇的行事ですね(奈良の当麻寺や岡山の誕生寺が有名)。
そういう意味で、閻魔大王も奪衣婆もあの世の重要スタッフとしてこのお寺に堂々参加しているわけです。奪衣婆や閻魔さまの像を見ながら、地獄行きのお裁きだけは出さないで~と祈り、お地蔵様を眺めて、たとえ地獄や悪い世界に墜ちても救ってくださいとお願いし、阿弥陀さまを見上げて、でもやはり極楽浄土へ直行したいので頑張ります!と誓う・・・って具合。よくできているわ~、このお寺。
↓ 九品仏浄真寺の仁王門。都区内とは思えない緑深き静謐な境内。
次は、大田区南馬込の萬福寺へ行ってみました。世田谷区には他にも閻魔さまのいるお寺はあるのですが、東急大井町線で大田区に簡単にアクセスできると知り、こちらに決めた次第です。東京のローカル線って感じの庶民的な大井町線に揺られてみるのも良さそうだったし・・・。大井町の手前で都営地下鉄浅草線に乗り換え、西馬込駅で下車。萬福寺を訪れる前に、その途上にある大田区立郷土博物館にまず立ち寄りました。ここの出版物はなかなか良いという評判を聞いていたもので・・・。閉館寸前に滑り込んで、大田区古墳ガイドブックと六郷用水の冊子を購入しました。ページ数もたっぷりで内容びっしりの立派な冊子なのに、どちらも200円という安さ! うらやましい市民サービスですね。岡山市にもこういうのがあったらいいのに・・・。
さて、あらためて目的の萬福寺へ。東京でもこの辺りは初めて歩きますが、結構アップダウンがある坂の街なのには驚きました。萬福寺も、ちょっとした小さな丘の上にありました。茅葺屋根の趣きある山門をくぐると、すぐ右手に閻魔堂が・・・。本堂などのあるメインの境内はさらに階段を上った丘の上です。
閻魔堂は小さいながら前面・側面ガラス張りの現代的な建物。まるでショーウィンドーみたい。閻魔大王の両脇には司録・司命という地獄の書記官もいます。いずれも端正な正統派の像という感じ。ほとんど彩色なしのモノトーン像なのも渋い。
↓ 萬福寺(大田区)の閻魔像
↓ 萬福寺の司命像。閻魔大王付きの2人の書記官のうち、
巻物(文書)を読んでいるほうのが司命。
↓ 万福寺の司録像。筆で記録を取っているほうが司録。
お寺でいただいたリーフレットには、当寺の閻魔さまは江戸後期(天保年間)の書物に記されている、との解説が載っていました。もっと詳しく聞いてみればよかった!
墓地以外の境内はさほど広くなく、建物も大半は新しめですが、古様を保っていて(コンクリートぴかぴかという感じではない)風格のあるお寺でした。鎌倉初期に創建された古刹とのことで、史跡も豊富。源頼朝の重臣・梶原景時ゆかりの寺院だそうです。本尊は阿弥陀如来三尊。お寺の方の対応もとても丁寧で、お願いしたら、普段は書かないという閻魔さま銘の御朱印をわざわざ書いてくださいました。感激~! 閻魔さまを本尊にしているお寺というのは滅多になく、普通は別にちゃんとした(如来・菩薩クラスの)ご本尊がおられるので、よほど閻魔を売りにしているお寺でない限り、閻魔名での御朱印を出してくれるところは少ないのですよ。
↓ 万福寺の山門。都内では珍しい茅葺き! 江戸後期の建物だそう。
ひとまずこの辺で区切りますが、東京地獄めぐりはまだまだ続きます。