新春恒例!真備の里 訪問① |
というわけで、11日(日)の井原線ワンコインデー(1乗車100円で全線何度でも乗り放題)の日に出掛けました。いつもはガラ空きの井原線が、ぎゅうぎゅうというほどではないにしても、かなり混雑しています。まずは吉備真備駅で下車。駅前広場にはいろんな出店が並んで、朝9時台だというのにすでにかなりの人出。無料配布の竹箸やミカンをちゃっかりもらってから、「まきび公園」へ。公園南の高台の上にある「吉備公墳」で9時40分から合格祈願のご祈祷があるそうなのです(2回目は11時から)。
↓ 「吉備公墳(吉備さま)」の拝殿。建物や玉垣が建設・整備され
神社のような体裁になったのは、明治~大正時代頃らしい。
こちらは駅前にくらべると控えめな人出ではありましたが、拝殿にはすでにお坊さんがスタンバイ。係りの女性が祈願者の受付をしています。大学や高校の受験生らしい若い人と母親、孫の代理なのか年配の方が次々に祈願を申し込んでいました。全部で10人くらいだったかな。ご祈祷料は3000円。安くはないので一瞬迷いましたが、人数が少ないので紛れ込むのは目立つし、先日、西大寺観音院で、ご祈祷料も出さずにその場の流れで行事に参加してしまった、という後ろめたさも記憶に新しいので、ここはきちんとお支払いしようと決意。こんな機会滅多にないですからね。聞けば、合格祈願以外のお願い事でもいいですよ、とのこと。渡された護摩木には迷わず「古墳カフェin吉備2の成功を願って」と書きました。
↓ 吉備公墳の本体である石塔(宝篋印塔)。実際は鎌倉時代頃のものだという。
「吉備公墳」は一見神社のような造りですが、拝殿の向こうに祀られているのは、地元の人々により長い間、吉備真備の墓と信じられ崇められている古い石塔。江戸時代の元禄年間に、この地を治める殿様(岡田藩伊東公)が、歴史的に定かでない迷信を民が信じているのはけしからんと、ここを発掘させたところ、出土した石棺の中から長い脛の骨が見つかったので、長身だったといわれる真備の骨に違いない!と「判定」。迷信が一転、お殿様お墨付きの「本物」となりました。そして殿様は、たまたま近くにあった寺を「吉備寺」と改称させ、真備の菩提を弔う役割を命じました。今も「まきび公園」に隣接して山門を構えている真言宗のお寺がそれです。上記のようないきさつから、吉備公墳の管理や行事はこちらの吉備寺が受け持っています。
ご祈祷の前に、お坊さんがまず説明。吉備真備公の仏教上の本地仏は「十一面観音菩薩」なので、当観音の真言「オンマカキャロニカソワカ」を唱えます、云々。なるほど、神仏習合のリクツなのか、と納得。真備を御祭神のようにして拝む、って仏教にしては何だか違和感・・・と感じていたので。ふつう菅原道真とか徳川家康とか、神格化された「人」を祀るのって、神社でしょ。実際、ご祈祷が始まると、お経や真言にまじって、リフレインのように何度も唱えられたのは「南無 吉備大明神、南無 吉備大明神・・・」という言葉。おおっ!いかにも神仏習合っぽい。
ご祈祷の初めのほうと、護摩炊きが始まって護摩木が火にくべられる時の2回、参列者の氏名と祈願内容がお坊さんによって読み上げられるのですが、〇〇大学合格とか〇〇高校合格、といった普通の祈願内容にまじって、「古墳カフェ云々」という明らかに異質な内容は、その場で聞いててちょっと恥ずかしかった・・・。お坊さんも参列者も一瞬、え?何?と思ったことでしょうね。でも、間違えずにきちんと読んでくれましたよ。真備公の御神霊にもちゃんと届いたかな。
ご祈祷が終わった後、まきび公園をぶらぶらしてたら、テントを出して観光客に粗品を配っているボランティアガイドさんに声を掛けられました。来訪者のほとんどは、吉備公墳にお詣りする地元の人たちのようなので、公園を散策する人は本当に少ない。和風の匂い袋のように仕立てたミニ・ポプリをいただきました。ガイドさんたち暇そうだったので、質問をしたりしてしばし雑談。思いがけなく、有用な情報も聞かせてもらいました。
まきび公園は、公園ができる前は吉備寺の所有地だったそうです。田んぼと沼地が広がる谷あいの湿地帯みたいな土地だったとか。つまり、吉備寺境内と湿地帯と吉備公墳は元々一つながりの土地だったのですね。吉備寺が吉備公墳のお世話もしており、二つは一体である、というのもこれで納得。
それから、「琴弾岩」の昔の様子も教えてくれました。琴弾岩とは小田川河岸にある巨石で、この上で晩年の真備が琴を弾いたという伝説スポット。現在の琴弾橋ができるまでは(10年ほど前)、琴弾岩のすぐ正面に簡易的な橋が架かっていたそうです。河川敷から河川敷へと渡る幅1mくらいの欄干もない沈下橋だったとのこと。まるで琴弾岩の参道のような佇まいで、風情ありましたよ、と。しかし危険なため(実際時々人が落ちたとか)、少し下流に現在のような近代的な橋が建設されたということです。昨年・一昨年に歩いた時、琴弾岩の対岸に、「吉備公弾琴遺跡在南岸」と記した石碑が立っているのを見付け、ここから眺めろ、という意味かなと思っていましたが、ここから渡れるよ、という意味だったのかもしれませんね。
↓ 琴弾岩の対岸に立つ石碑(2013年1月撮影)
あと、一昨年に気付いて以来気になっていた件も聞いてみました。吉備公墳の石塔周辺が妙にピカピカに「整備」されてしまった、という一件(→前ブログ)。すると、ボランティアガイドさん2人、口を揃えて、「そうなんですよ!我々も困惑しているのです。」と言います。やはり軽々しく改変してほしくなかったようです。同感! 改修は一部の人が決め、周知徹底していなかったらしい。改修した人々にしてみれば、立派にしなくては、との善意からだったのでしょうが、う~ん・・・。難しいものですね。
真備町で予想外に時間をくってしまいました。まだ三谷と矢掛にも降りる予定なのに。駅へ戻るついでに、旧山陽道沿いの「佐藤酒店」にちょっと寄ってみました。日曜日なのでやはり閉まっていましたが・・・。ここは「吉備真備」という日本酒を唯一販売している店なのです。昨年の奈良「フルコト」での「天平バー」というイベントでも大ウケだった「清酒 吉備真備」(→前ブログ)。奈良の人が見事見つけ出しているのに、岡山でも知っている人はあまりいないよね。この店では目玉商品のようで、ウィンドに麗々しく陳列してありました。
ちょっと書くつもりが(いつもの如く)長くなったので、後半・矢掛町編は次回に回します。つづく・・・。