和歌山県「旧吉備町」を訪ねる |
目指す「吉備町」は、2006年に金屋町、清水町と合併した際に町名が消滅してしまい、今は「有田川町」となっています。その有田川町は、和歌山市と田辺市の中間くらい、有田川に沿って東西に広がる町で、その一番西(下流側)に位置しているのが旧吉備町。それにしても、こんなところに「吉備」という地名・・・、気になりますよね。「吉備町」は、1955年に御霊・田殿・藤波の3村が合併した際に付けられた町名で、このあたりが奈良時代から平安時代にかけて「吉備郷」と呼ばれていたのにちなんで名付けられたのだそうです。
そしてそこに真備伝説があるというのです。岡山の郷土史家・高見茂氏の著書『吉備真備とその伝承』(2000年刊)に紹介されているのを読んで知りました。その本によると、吉備郷なる地名の由来は不明だが、そこには「吉備大臣様」(別名、吉備津様)と呼ばれる小祠があり、地域の人たちに古くから信仰されている。「吉備大臣様」はすぐそばにある「吉備の井」(有田川の井堰)の守り神だそうである、とのこと。さらに推論として、2回目の渡唐からの帰路、紀伊半島の南端、牟漏崎に漂着した真備は、都へ帰る途中に、この地に立ち寄ったのではないか。そして、有田川の井堰築造を指導するなどして地域に恩恵をもたらし、それでこの地の人々から崇敬されるようになったのではないか。そしてそこから吉備という地名が生まれたのかも、と記しています。
↓ 旧吉備町の「吉備の井」。灌漑用の井堰で、現代風に改修されて今も稼働中。
どうやら伝説があるといっても、かなり曖昧模糊としたものらしい。現地訪問するからには、ある程度下調べしてから、と思い、ちょっとネットで調べたところ(「吉備町 吉備大臣様」程度でググってみても何も出てきませんが)、なんと有田川町のweb-libraryで、『吉備町誌』(1980年刊)が丸ごと読めることが分かったのです。すごい!なんて進んだ自治体なんだ~!
ところが、『吉備町誌』には、「吉備」という地名が初めて登場するのはいつか?などについては詳しく書かれているのに、なんで「吉備」なのか?の解説は一向に出てきません。結局よく分からないらしい。だいぶ読み進んだところで、やっと一つの仮説に出会いました。古代にこの地で朱・水銀採掘に携わった丹生(にう)氏に代わり、ここに移入して採鉱冶金事業を担ったのは、尾張氏という氏族だったとみられる。尾張氏は吉備出身というのが有力な説。吉備という地名は彼らがもたらしたのだろう、というのです。
それとは別に、こんな伝承も紹介しています。このあたりは昔、吉備真備の領地であり、そのため吉備野、吉備芝、吉備の淵など「吉備」と名の付くスポットがいくつも残っていた。平安時代後期、熊野詣の際(帰路だそうです)この地に立ち寄った堀河天皇は吉備大臣の勲功に思いを馳せ、自ら宝物や資金を寄進してここに吉備大臣ら八所御霊を祀る「御霊神社」を建てさせた、というもの。が、これは神社の縁起を飾る伝説に過ぎず、史実ではないと筆者は断じています。
「吉備の井」と呼ばれる灌漑用の井堰も、いつ誰が作ったのかは不明だそうだし(少なくとも、真備が作ったという伝承はない)、吉備の井の守り神という小祠も、古来「吉備大臣様」と呼ばれてきたが、ある時「吉備津大神宮」と記した古い幟が見つかり、その後は「きびつさま」と呼ばれるようになった、・・・って、真備伝説全否定みたいな論調ではないですか!これから訪ねようっていうのに。
いやいや、こういうケースは慣れっこです。鳥取の賀露神社のように、明らかに史実のカケラもない伝説だってあるしね。伝説なんて大体こんな感じですから。しかし、伝説が存在することは確か。なんでこんな所にこんな伝説が生まれたんだろう?それを探ってみるのが面白いんですよね。どうやらここの真備伝説は、吉備津彦信仰との混線型のような匂いが・・・。先の『古墳カフェin吉備』の際に作った小冊子『MAKIBI マジカル・ミステリ・ツアー』の中で書いたように、御霊神社の八所御霊としての吉備真備も、尼崎・吉備彦神社の吉備真備も、本来は吉備津彦信仰だったのが混同されて真備になったのでは、と最近は考え始めています。和歌山県旧吉備町もそのケースなのかな? 俄然やる気が出てきたぞ!
前置きが長くなりましたが、ともかくJRきのくに線(紀勢本線)に乗り、藤並駅で降りました。以前は「有田鉄道」という私鉄がここから内陸に向かって走っていたそうですが、2002年に廃線になっているので、路線バスで目的地に向かいました。目指すはまず「御霊神社」。そのあと「吉備大臣様(吉備津様)」→「田殿丹生神社」→「国主神社」という順に徒歩でたどりながら駅に向かって戻るという計画です。
↓ 旧吉備町の御霊神社。背後がかなり深い鎮守の森になっている。
「御霊神社」は、鄙びた風情ながらなかなか風格のある構えです。平地の田園地帯にしてはかなり奥深い鎮守の森を備えた神社で、樹々に囲まれた佇まいが歴史を感じさせます。昔はもっと広大な社地を持っていたとか。旧吉備町は御霊・田殿・藤波の3村から構成されていたと前述しましたが、その旧御霊村の核をなす古社だというのも納得。
御祭神はいわゆる“八所御霊”。京都の「御靈神社」などで祀られている崇道天皇、伊予親王ら8柱の怨霊、つまり奈良時代末~平安時代初めに政争に巻き込まれ無実の罪で死を遂げた皇族貴族たちの霊です。八所御霊の1柱“吉備聖霊”は一般に吉備真備とされており、この御霊神社でも縁起では、真備ゆかりの地ということで堀河天皇が祀らせたということになっています。しかし、吉備聖霊は八所御霊のメインの神様ではないし(吉備聖霊と火雷天神は後から加えられた神様)、そもそも吉備聖霊は真備ではない(真備は怨霊化していない)という説もあり、真備を祀るために八所御霊を勧請したというのはいかにも不自然です。なので、この縁起はあとから創作された伝説で、実際は、このあたりが皇室領だったか何かで都とつながり深かったからではないか、それで京都の御霊信仰が導入されたのではないか、と『吉備町誌』は推測しています。
神社の向かって右側の大きな農家風のお宅が宮司さん宅らしかったので、詳しいことを伺おうと声をかけてみたところ、突然の訪問にもかかわらず、宮司さんとお母様が丁寧に応対してくださいました。神社は何度も火災に遭っているので古い記録はまったく残っておらず、詳しい創建のいきさつなどは分からないのです、とのこと。しかし、ここからも近い「吉備大臣様(吉備津様)」のことも含め、いろいろ気になるので、数年前に、吉備津様をおまもりするグループの代表者と地元郷土史家の先生と共に、岡山の吉備津神社を訪ね、先方に話を伺って確かめてきたのですよ、と言います。今では、地名の“吉備”は、吉備真備ではなく吉備津彦から来ている、という見解に傾いているとか。この見解には「田殿丹生神社」も関わっているので、ぜひそちらも訪ねてみてください、とも勧められました。
↓ 有田川河畔の藪の中に建つ「吉備大臣様(吉備津様)」
でも、その前に「吉備大臣様(吉備津様)」を拝まねば・・・。徒歩数分で到着。有田川のほとりの藪の中に立つ素朴な小祠です。藪にさえぎられて見えませんが、ザーザーと水音が近くから聞こえます。「吉備の井」の堰を水が越える音らしい。赤い鳥居が何本も立ち、覆い屋の中を見ると、小祠が二つ並んでいて、その前には石や陶製の狐像がずらり。何だかお稲荷さんみたい。『吉備町誌』によれば、吉備大臣と馬頭観音を並べて祀っているとのことですが、あれれ?という感じ。元々は吉備津彦を祀っていたのが、いつしか吉備大臣となり、さらにお稲荷さん化してしまったのか?? まあ、地元の人たちにとっては井堰の守り神であることが肝心なのであって、神様の種類(?)はどうでもいいということなんでしょうね。
でも、決して適当に扱っているわけではなく、こんな小さな社なのに、ちゃんとお世話する独自の団体があって、毎年夏祭りを開催し、花火大会まで盛大に執り行うのだとか。赤鳥居も真新しい感じで、鳥居根元のコンクリートに手書きで「奉納 平成23年7月吉日」と彫られていました。なんか微笑ましい~。
ちなみに、御霊神社の宮司さんたちも、田殿丹生神社の方も、一様に「きびつさま」と呼んでおられました。『吉備町誌』に書いてあったように、やはり今は「吉備津様」として扱われているようです。
遠くから見えた茂みは、丹生神社の正面鳥居の前方、自動車道を挟んだ川岸にある「夏瀬の森」。丹生神社の摂社がその中に祀られています。すごい巨木がそびえているものの、森というのも大袈裟な茂み・・・と思ったら、昔(平安時代まで)はもっと広大な森だったのが、有田川の洪水と流路の移動で縮小してしまったのだとか。しかし、この“森”といい、丹生神社背後のきれいな円錐形の山といい、自然の驚異を感じさせる、いかにもパワースポット的な立地です。
↓ 田殿丹生神社。旧吉備町の田殿エリア(旧田殿村)の氏神さま。
さて、田殿丹生神社メインエリアへ。御神体でもある「白山」(円錐形の山)の麓に位置し、山肌を少しせり登るような形で境内が広がっています。正面中央の本殿に御祭神である朱(水銀の原料)の神様が祀られており、その左右に建つ社殿には、田殿エリアの各所から集められ合祀された神々がまとめて祀られています。その諸神の中に「吉備大神」とあるのが気になって(←神社のHPに出ているのを見て)、ここを訪ねることにしたのですが、御霊神社で勧められ、さらに期待アップ! が、ひと気もなく宮司さん宅もよく分からなかったので、掲示されていた電話番号に電話すると、宮司の奥さまとおぼしき女性がわざわざ来てくださいました。そして、御霊神社で聞いた話を補足するような形で、丁寧に分かりやすく解説してくれました。
先ほどの御霊神社での話と『吉備町誌』の記述も合わせ、ざっとまとめると以下のような内容です。古代、この地で水銀採掘を独占的に営んでいた丹生氏という氏族が守り神として創建したのが、この田殿丹生神社である。丹生氏が去り、それに代わってこの地で銀の採掘・生産を担ったのは、吉備国から来たと思われる尾張氏だった。彼らは故郷の吉備津彦信仰を持ち込み、丹生神社の傍らに祀った。岡山の吉備津神社には、かつて紀の国・有田の地に分霊したという記録があり、印を付けた地図も残っているという。その地図を詳しく調べた結果、それは、ここから1キロ余り下流の「井口」という地区にある「下の宮」跡の傍らだと分かった。下の宮は現在は当神社に合祀されているが、現在も祭礼の際はお旅所として渡る重要スポットである。印の地と思われる場所は、今はただの畑だが、かつてお社が建っていたと現地では言い伝えられているとのこと。当神社本殿の向かって左側の社殿中央に合祀されている「井口の吉備大神」こそ、その吉備津彦神だということです。
↓ 田殿丹生神社に合祀されている「井口の吉備大神」。
なるほど~! ということは、やはり地名の「吉備」は吉備真備由来ではなく、吉備津彦なのですね。本来ここは吉備津彦信仰が導入された土地であり、そういう意味での吉備つながりだったのに、いつの間にか吉備大臣信仰にすり替わって、信仰・伝説の中心地も田殿丹生神社から御霊神社へと移って行った、というわけか・・・。「吉備大神」が音読みで「きびだいじん」になり、「吉備大臣」(=吉備真備)になってしまったのでしょうか?
尼崎の吉備彦神社も同じく、本来は吉備津彦だったのが吉備大臣に変じたような印象濃厚だったし、こういうパターンって結構よくあるのかな? 単に名前が似ているからなのか、それとももっと深い意味があるのか・・・?
旧吉備町では、神社関係者や郷土史家の熱心な探求の結果、近年、以上のような吉備津神社とのつながりが分かってきて、そんな縁から、岡山を訪ねる方々もけっこうおられるようです。田殿丹生神社の奥さまも、御霊神社の宮司お母様も、最近岡山に行きました、とおっしゃっていました。ふらりと訪ねたこんなモノ好きを丁寧に遇してくれたのも、岡山から来たからこそだったのかもしれません。私も何だかご縁を感じて、旧吉備町に親近感が湧いてきました。
田殿丹生神社に関しては、もう一つ、吉備つながりの歴史ネタがあるのですが、既に文章がえらく長くなってしまったので、この辺で一旦区切りますね。
↓ 有田川越しに望む「白山」。田殿丹生神社の御神体でもある見事な円錐形の山。
旧吉備町に在住している者です。
御霊神社から歩いて5分程度のところに住んでいます。
地域の神社の由来などを調べていたら、このページに辿りつきました。
詳しく書かれた内容と独自の見解などが非常に面白く、他のページも見させていただきました。
旧吉備町では神社の信仰が各地域の自治会などで熱心なようで
夏祭りも神社毎にあり、町内で夏の花火大会が7回もある少し変わった地域です。
御霊神社は宮司さんも気さくな方で、先日子供が小学校の課外授業でお世話になった時も、丁寧に説明をしていただいたようです。
ちなみに隣にあった保育所も、元々神社の土地のようです。
吉備津神社の夏祭りでは、毎年男の子が獅子舞を踊り、女の子がダンス?を踊り(小学生の簡単な踊りですが)地域の人の楽しみになっているようです。
また、吉備津神社に行くのに県道から細い道を入っていかれたと思いますが、その道には灯篭を置いて幻想的な雰囲気となり、小さいですがなかなかよい夏祭りです。
井堰の砂利のところで写真を取っておられると思うのですが、そこに3個ほど屋台も出ます。
色々と勉強になりついつい長いコメントとなりました。
これからも読ませていただきます。
追伸
御霊神社の宮司さん曰く、時々夜に黄色の狐(神様?)が神社に現れるようです。
お稲荷様も奉っているようなので、その関係かもしれませんんが何分奉っている神様が
多いので誰の化身なのか分かりません(笑)
祭りの様子が目に浮かぶようです。まだまだ昔ながらの地域の絆が生きている土地柄なのですね。
あの祠を「吉備津神社」と呼んでおられるのを拝読して、やはり・・・と思いました。岡山で読まれている吉備真備についての本では「吉備大臣様」と紹介されていますが、実際は地元の方々は皆「吉備津彦様」と認識しておられるのですね。
御霊神社の黄色のお狐様のお話も、なんだかロマンチックというかミステリアスで素敵です。神社の背後が森なのでそういうこともあるのでしょうね。
機会があったら、旧吉備町を再訪したいという気持ちが強くなりました。また面白いお話があったらお聞かせくださいませ。
お教えありがとうございました。
う・・・
錐体は、π体として動的存在(∃)、数の[1]は、立方体(1×1×1)として静的存在(∃)この二つを融合・分化させると自然数に生るとか・・・
≪…旧吉備町…≫の有田川町ウエブライブラリーから、この物語の淵源を発信している・・・
もろはのつるぎ