2013年 10月 12日
奪衣婆(だつえば)フィーバー |
京都の「六道の辻」エリアを散策して以来、地獄方面(!)への興味が持続しています。なにやら今、地獄絵がブームだそうで、その手の本がたくさん出ているみたい。その中で、面白いユニークな本を見付けました。
『庶民に愛された地獄信仰の謎 ~小野小町は奪衣婆になったのか~』
(中野純・著、講談社、2010年)

3年前に出版されている本なので、現在の地獄ブームに便乗したものではなさそう。ただ、著者は研究者とかではなく「体験作家」とやらを自称しているサブカル方面のライターらしいし、講談社プラスアルファ新書という流行もの系シリーズから出ているのもなんか怪しい・・・。この方面には、思い付きと勢いだけで書いたような「トンデモ本」もよくあるので、敬遠していましたが、古本で安く売られていたのを見付け、ダメ元で購入してみました。
が、読んでみると意外に面白い! いろいろ勉強にもなりました。文章はサブカルものにありがちな軽い調子ですが、内容はなかなか充実しています。タイトルに「地獄信仰」を掲げてはいますが、実際は「奪衣婆」を主役に据えた内容です。
奪衣婆とは、閻魔さまや地獄の鬼(獄卒)たちと並ぶ、地獄に付きもののキャラクター。三途の川のほとりで、亡者たちの衣を剥ぎ取る役目の怖い婆さんです。よく地獄絵や群像などで、閻魔大王に付き従うような形で控えているのを目にします。シワシワだけど妙にいかつい怖い顔の婆さんが、亡者みたいな経帷子一枚の姿で、胸をはだけ、片膝立てて座っている、というのが定番のスタイル。「ゲゲゲの鬼太郎」の砂かけばばあのイメージが近いかな。ビジュアル的にインパクトあるので、私にとっても以前から気になる存在のキャラでした。とはいえ、特に深く考えたことはありませんでしたが・・・。
本は、著者がなぜ奪衣婆に惹かれるようになったか、から始まり、沢山の多様な奪衣婆像の紹介、地獄ワールドの概説と奪衣婆信仰が広まった理由についての解説、各地の奪衣婆訪問の紀行文、などなど盛りだくさん。実物を見ての印象や「妄想」も書きまくっていますが、論理的な考察や解説と混線することもなく(トンデモ本にはよくそういうのがあるんですよね!)、ある意味冷静なところもあり、著者は意外と真面目で謙虚なヒトなのでは、と推察しました。書物等でもよく勉強しておられるようで、時には専門家の説を引用しつつ、アマチュア愛好者ならではの分かりやすさで説明してくれます。
そして何よりこの本が楽しいのは、一貫して奪衣婆「愛」に溢れていること。本人がいかにこのテーマが好きか、ということがバシバシ伝わってきて、思わず引き込まれます。これまで奪衣婆を知らなかった人でも、好きになること間違いなし(!?)。論理的で分かりやすいけど、ユルくて熱い、という不思議な本です。
専門家ではないので、深い分析や結論めいたものはありませんが、示唆に富んだ指摘は随所に出てきます。例えば、閻魔さまチーム群像(十王像)の中の奪衣婆は、「中国人の中に一人だけ日本人」「一人だけ服装がカジュアルすぎる」という指摘。私も薄々感じてはいましたが、言われてみればその通り! 日本の地獄観が基本大陸伝来であるのに対し、奪衣婆は日本古来の土俗的民俗的要素の高い存在だからだそうです。この人だけなんか変・・・という感じでつい気になってしまうのはそういうわけなんですね!
地母神的性格を持つ「山姥=姥神」と同一視されたり、小野小町老衰像(美女だった小町が老いて落ちぶれ放浪したという後世の伝説に基づく像)に重ね合わされたり、九相図(美女の遺体が朽ちていく様を段階別に描いた仏教絵画)や日本神話でのイザナミの死のエピソード(腐り爛れた姿に変貌し、黄泉の国の女支配者となる)のイメージも混入して・・・なんて話が次々に出てきて興味深い。
実際、関東では、「三途の川のほとりで亡者の衣を奪う」という役割から離れて、咳止めとか、商売繁盛のご利益で祀られている奪衣婆も結構あります。本来は閻魔大王の手下的存在なのに、だんだん役割が重くなり(閻魔大王が裁く前に、亡者の罪を衣の重さでササッと測ってしまう!)、閻魔様のパートナーのような形で、男雛女雛みたいに二人並んで祀られている場合も多い。奪衣婆は閻魔大王の妻という俗説もあるそうです。こうなるとまさに地獄の女王ですね。生と死をつかさどる強力な女神というイメージで、庶民の信仰を集めたらしいです。
そんなわけで、都から遠く離れた東日本では、仏教で説かれている正統な設定から勝手にイメージや役割が一人歩きしてしまい、造形的にもかなり個性的な(ある意味へんてこな)像が作られまくりましたが、西日本は比較的正統ラインが守られているのか、造形的にもまともなのが多いような気がします。
私が岡山で見た奪衣婆像のひとつが、これ(↓)。『ノオト』第16号の取材で訪問した、倉敷市羽島の「法輪寺」のものです。

あんまり怖くない。むしろ優しそうな美人お婆さんです。東京では有名な新宿・太宗寺の奪衣婆なんて、(写真でしか見たことないけど)思わずのけぞりそうなすさまじい怖さなんですがね。恐怖映画の特殊メイク並みの・・・。ああいうのに比べたら、とってもおとなしいです。ここの地獄メンバー群像はどれも端正な造形で、下の写真は十王(閻魔大王の同僚裁判官)の一人ですが、なかなかのハンサムでした。

住職さんの話によると、廃寺になった関連の寺から、わりと最近、移された群像だそうです。閻魔大王も大きくて立派だし、十王の顔も一人一人異なった顔立ちに造ってあったりして、丁寧な造りです。浄玻璃の鏡や人頭杖といった地獄の備品(閻魔大王の裁判で使う道具)も揃っていました。下(↓)の閻魔さまの写真で、手前に写っているのは地獄の書記官・司録。こちらもいい顔してますね。・・・倉敷の地獄も捨てたもんじゃないな。

話が脱線したので、本の話に戻します。著者は東京の人なので、奪衣婆も関東のものが多く取材されています。しかし、新書という体裁なため、あまり写真が載っていません。せっかく面白そうなのを紹介してくれても、写真で見れないのが残念。遠くなのでわざわざも行けないしね。モノによっては、決まった日にしか公開しないのもあるので、行ったら必ず見れるというわけでもなさそうだし。
東京ではこの本の出版時に合わせて、著者による「奪衣婆写真展」も開催されたそうですが、見たかったな~。ところで、著者は文中で、本当は数多くの写真と詳細な文で綴った「奪衣婆名鑑」を出版したいくらい、と熱く語っています。ぜひ、そっちを実現してください! これまで奪衣婆に特化した本ってないと思うから、これは画期的な本になりますよ。ひそかに期待しています。
『庶民に愛された地獄信仰の謎 ~小野小町は奪衣婆になったのか~』
(中野純・著、講談社、2010年)

3年前に出版されている本なので、現在の地獄ブームに便乗したものではなさそう。ただ、著者は研究者とかではなく「体験作家」とやらを自称しているサブカル方面のライターらしいし、講談社プラスアルファ新書という流行もの系シリーズから出ているのもなんか怪しい・・・。この方面には、思い付きと勢いだけで書いたような「トンデモ本」もよくあるので、敬遠していましたが、古本で安く売られていたのを見付け、ダメ元で購入してみました。
が、読んでみると意外に面白い! いろいろ勉強にもなりました。文章はサブカルものにありがちな軽い調子ですが、内容はなかなか充実しています。タイトルに「地獄信仰」を掲げてはいますが、実際は「奪衣婆」を主役に据えた内容です。
奪衣婆とは、閻魔さまや地獄の鬼(獄卒)たちと並ぶ、地獄に付きもののキャラクター。三途の川のほとりで、亡者たちの衣を剥ぎ取る役目の怖い婆さんです。よく地獄絵や群像などで、閻魔大王に付き従うような形で控えているのを目にします。シワシワだけど妙にいかつい怖い顔の婆さんが、亡者みたいな経帷子一枚の姿で、胸をはだけ、片膝立てて座っている、というのが定番のスタイル。「ゲゲゲの鬼太郎」の砂かけばばあのイメージが近いかな。ビジュアル的にインパクトあるので、私にとっても以前から気になる存在のキャラでした。とはいえ、特に深く考えたことはありませんでしたが・・・。
本は、著者がなぜ奪衣婆に惹かれるようになったか、から始まり、沢山の多様な奪衣婆像の紹介、地獄ワールドの概説と奪衣婆信仰が広まった理由についての解説、各地の奪衣婆訪問の紀行文、などなど盛りだくさん。実物を見ての印象や「妄想」も書きまくっていますが、論理的な考察や解説と混線することもなく(トンデモ本にはよくそういうのがあるんですよね!)、ある意味冷静なところもあり、著者は意外と真面目で謙虚なヒトなのでは、と推察しました。書物等でもよく勉強しておられるようで、時には専門家の説を引用しつつ、アマチュア愛好者ならではの分かりやすさで説明してくれます。
そして何よりこの本が楽しいのは、一貫して奪衣婆「愛」に溢れていること。本人がいかにこのテーマが好きか、ということがバシバシ伝わってきて、思わず引き込まれます。これまで奪衣婆を知らなかった人でも、好きになること間違いなし(!?)。論理的で分かりやすいけど、ユルくて熱い、という不思議な本です。
専門家ではないので、深い分析や結論めいたものはありませんが、示唆に富んだ指摘は随所に出てきます。例えば、閻魔さまチーム群像(十王像)の中の奪衣婆は、「中国人の中に一人だけ日本人」「一人だけ服装がカジュアルすぎる」という指摘。私も薄々感じてはいましたが、言われてみればその通り! 日本の地獄観が基本大陸伝来であるのに対し、奪衣婆は日本古来の土俗的民俗的要素の高い存在だからだそうです。この人だけなんか変・・・という感じでつい気になってしまうのはそういうわけなんですね!
地母神的性格を持つ「山姥=姥神」と同一視されたり、小野小町老衰像(美女だった小町が老いて落ちぶれ放浪したという後世の伝説に基づく像)に重ね合わされたり、九相図(美女の遺体が朽ちていく様を段階別に描いた仏教絵画)や日本神話でのイザナミの死のエピソード(腐り爛れた姿に変貌し、黄泉の国の女支配者となる)のイメージも混入して・・・なんて話が次々に出てきて興味深い。
実際、関東では、「三途の川のほとりで亡者の衣を奪う」という役割から離れて、咳止めとか、商売繁盛のご利益で祀られている奪衣婆も結構あります。本来は閻魔大王の手下的存在なのに、だんだん役割が重くなり(閻魔大王が裁く前に、亡者の罪を衣の重さでササッと測ってしまう!)、閻魔様のパートナーのような形で、男雛女雛みたいに二人並んで祀られている場合も多い。奪衣婆は閻魔大王の妻という俗説もあるそうです。こうなるとまさに地獄の女王ですね。生と死をつかさどる強力な女神というイメージで、庶民の信仰を集めたらしいです。
そんなわけで、都から遠く離れた東日本では、仏教で説かれている正統な設定から勝手にイメージや役割が一人歩きしてしまい、造形的にもかなり個性的な(ある意味へんてこな)像が作られまくりましたが、西日本は比較的正統ラインが守られているのか、造形的にもまともなのが多いような気がします。
私が岡山で見た奪衣婆像のひとつが、これ(↓)。『ノオト』第16号の取材で訪問した、倉敷市羽島の「法輪寺」のものです。



話が脱線したので、本の話に戻します。著者は東京の人なので、奪衣婆も関東のものが多く取材されています。しかし、新書という体裁なため、あまり写真が載っていません。せっかく面白そうなのを紹介してくれても、写真で見れないのが残念。遠くなのでわざわざも行けないしね。モノによっては、決まった日にしか公開しないのもあるので、行ったら必ず見れるというわけでもなさそうだし。
東京ではこの本の出版時に合わせて、著者による「奪衣婆写真展」も開催されたそうですが、見たかったな~。ところで、著者は文中で、本当は数多くの写真と詳細な文で綴った「奪衣婆名鑑」を出版したいくらい、と熱く語っています。ぜひ、そっちを実現してください! これまで奪衣婆に特化した本ってないと思うから、これは画期的な本になりますよ。ひそかに期待しています。
by machiarukinote
| 2013-10-12 10:31
| 読書など
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