古墳にコーフン! |
「ちみち」は、総社市で地元の文化や歴史を生かした地域興しを続けている団体で(今年で5周年!)、年2回ほど「みちくさ小道」という、たくさんの講座やワークショップなどを連ねたイベントを企画運営しておられます。お噂は以前から耳にしていました。興味はあったけど、気軽に参加するには少々遠いこともあり、そのままに・・・。「ちみち」が昨年出版した「いにしえ吉備の自転車古墳さんぽ」(吉備人出版)はすぐに購入し、ワクワク通読しましたが、やっぱり総社(の古墳があるようなところ)は少々遠いし交通の便も悪い。おまけに私、自転車乗れないし。
が、ブログにも書いたように(→コチラ)、今年5月にひょんなことから「ちみち」事務所でコフニスト“かまどねこ”こと和気さんに直々にお会いし、以前から気になっていた古墳関連講座に今年こそ参加しよう!と心に決めました。
送ってくださった「みちくさ小道」パンフレットを見て決めたのが、今回の「古墳にコーフン!」という講座。講師は、岡山弁研究でも有名な、雑誌「オセラ」編集顧問の青山融氏。この道50年の古墳マニアという一面もお持ちの方。和気さんが講師の古墳探訪講座もあったのですが、こちらは集合場所が車じゃないと行けない場所なうえ、歩き中心のようなので(この季節に!)断念しました。青山さんの講座は総社駅集合でバス移動。暑い季節に楽したいという思いもありましたが、車じゃないとアクセスしにくい所に連れて行ってもらえる、というのが、私のような非車族にはまたとないありがたい機会です。
で、まず最初に訪れたのが、旧清音村の三因(みより)峠古墳群の峠1~3号墳。道路脇の「歴史広場」という所に、きれいに整備されています。道路建設の通り道に当たっていたため、移築保存されたものだとか。つまりオリジナルの状態ではないのですが、かえって復元整備されているため、古墳群の雰囲気を把握することができます。こんもりとした小山が寄り添うように3つ。これだけで、おお~っ!って感じ。はやコーフン。石室開口部もみな同じ向きなので、同時に見えます。なんかシュールな眺め。古代には、こんなのがあちこちにあったんですかねぇ。(開口部はふさがっていたでしょうが。)
↓ 三因(みより)峠古墳群 峠1~3号墳
次は、高梁川を西岸に渡り、金子石塔塚古墳へ。ここは、全国的に見ても見事な家型石棺が残っているのが売り。造形的にも保存状態の上でも素晴らしいものだとか。なのに、市レベルの重要文化財にさえ指定されていないという穴場的存在なのだそうです。大きな溜め池のほとりから田舎道を歩き、山の中に入って少し行くと石室開口部が・・・。案内板も説明板もありません。連れて来てもらわなければまず分からないと思う。
確かに立派な石棺! 玄室も広々(先ほどの峠1~3号墳はどれも狭かった)。使われている石もかなり巨大です。なんか全体にバランスの良いカッコいい見た目で、“ザ・古墳(石室)”っていう感じ。(またもコーフン!) 石棺にはよく盗掘用の穴が空いていたりしますが、ここのはそういう欠けもなく完全形。が、過去には石棺の蓋が開けられた状態だった時期もあるそうで、中身は恐らく空っぽ(盗掘済み)だそうです。
↓ 金子石塔塚古墳(内部)
さらに西へ移動し、長砂(ながさこ)2号墳へ。これは、横穴式石槨墳といって、石のお棺が斜面土中に直接埋め込まれたようなものを想像してください。短辺の面が開口していて、ここから遺体を入れたお棺(木や漆でできたもの)をスライドさせて納め、石の蓋をはめるというもの。古墳としては最も新しい時期(最後の時代)に作られたもので、岡山県下ではこれが唯一の存在なのだそうです。すごく珍しいものなのに、ここも案内板などは皆無。農村の裏山のような所にあって急斜面に開口しているため、最後の数メートルは崖伝いに申し訳程度の小道を一人ずつたどるというアドベンチャーな展開に・・・。ちみちスタッフがあらかじめ仮設のロープを手すり状に設置してくれていたので、なんとか無事に見学できました。
整然とした石の切り口が想像以上の見事な出来。蓋をはめ込む溝もきちっとしている。千何百年前のものとは思えません。スゴイ! 80年前にひいじいちゃんが作らせました、とか言っても信じてもらえそうなくらい。
↓ 長砂(ながさこ)2号墳
実はロープの設置、見学後の速やかな撤去、といった裏方を務めておられたのが、“かまどねこ”和気さん。が、このあたりから裏方から前面に転じ、青山さんとのダブル解説という贅沢な状況に! 講演者としても活躍されている青山さんは、私たち素人にも判りやすい要点を突いた解説がさすがですが、マニアックな部分は和気さんの独断場。すばらしいコンビです。好きでたまらない、というワクワク感が二乗になってジワジワ、ビシビシ伝わってきます。
長砂古墳の失われている石の蓋が、里の石塔の台座に転用されている、というとっておき情報も披露。和気さんが古い文献をもとに、現地で探し歩いて発見したのだそうです。総社市とかにも通報済みだそうですが、反応は薄いとのこと。当局の熱意なんてそんなもんなのかもしれません。古墳そのものの案内板ひとつないんだからね。
↓ 長砂2号墳の蓋が台座石として転用されている石塔。
石塔の銘は安永四年(18世紀後半、江戸時代)でした。
このあと、「サントピア」で昼食・休憩をはさんで、午後はここから徒歩で一丁ぐろ古墳群を散策(「ぐろ」は「土」偏に「丸」。漢字が出ない!)。尾根伝いに確認されただけでも十数基の古墳が連なっている、しかもそのほとんどが珍しい前方後方墳か方墳という、驚きのエリアです。一応散策路のような歩道が付いていて所々に道案内看板などもありますが、現地に表示板・説明板は一切なく、整備途中のような中途半端な雰囲気。
特にここの一丁ぐろ1号墳は、一昨年秋に「調査により岡山県南部で最大の前方後方墳と判明した」と大々的にニュース報道されたのが記憶にも生々しい、注目の古墳です。よくある前方後円墳ではなく、前方「後方」墳ですよ。正方形に台形(バチ型)が合わさった形の・・・。一見何でもなさそうなのに、ちょっと思いつかない組み合わせのフォルム。妙に心惹かれます。このニュースに触発されて、奈良の「Be-buddha」さんで前方後方墳ペンダントを購入したこともある私。ワクワクの対面でした。
予想はしていましたが、実物は長い年月で外形が曖昧になっている上に、草木が生い茂って判りにくい状態に・・・。本当は、夏は古墳巡りのオフシーズン(暑いしね!)。草木が枯れた冬が見学に適しているのです。歩いていると上り下りがあるので、前方部→くびれ部→後方部、と大体の形は把握できるのですが、写真にはうまく撮れず。
後方部の上には後世の石塔・石塚などがいろいろ祀られています。そのあたりが竪穴式石室(未調査)のある所だとか。石塔・石塚の一部石材や地面の小さな丸石は石室のものらしい。こういうのを見るとドキドキしますね。
↓ 一丁ぐろ古墳群1号墳の後方部頂き。石塚の石材や地面の丸石に注目!
この前方後方墳は造りや出土品から4世紀初めに作られたと推定されており、岡山で最も古い古墳の一つと考えられているそうです。古墳時代初期における総社平野のそうとうな有力者(支配者)が葬られていた可能性がある、とのこと。大和政権に圧迫されて力をそがれる前の吉備大王でしょうか?真備の遠い先祖とか?(距離的に真備町近いぞ!) 勝手に妄想膨らみます。
このあと、連続する方墳群を次々に踏破しながら、東に枝別れして延びる尾根伝いに進み、15号墳へ。これらの小規模な方墳は、先ほどの前方後方墳よりずっと時代は下がったものだそうですが、こんなに方墳ばかりあるのも珍しい。何かワケでもあるのですか?と質問すると、いろいろ難しい理由はあげられているが、たぶん流行りでしょう、と和気さん。けっこう納得。はじめの支配者がカッコいい前方後方墳作ったので、後のこの地の有力者たちがこぞって真似したのかも。ご当地四角ブームですね。あと、四角は円より三次元的に作り易いのだとか。実際に前方後円墳を試作したことのある(!)和気さんならではの指摘です。
15号墳は発見されたばかりで、公的にはまだ公表されていない古墳だとか。和気さんとっておきのホットスポット。墳丘の段を構成する石が、四角状に2段並んでいるのがはっきり見て取れます。石室部分は未盗掘とみられるそうです。大発見もありうるかも。そのうち大ニュースになる可能性あり、と。そしたら、流行もの先取り感覚で自慢できますね! もっとも、お役所仕事はいつも遅々としてはかどらないので、いつになったら本格発掘調査に入るのやら、という感じらしいですが・・・。
↓ 一丁ぐろ古墳群15号墳。墳丘の段の縁に敷かれた石。直角に並んでいるのが分かる。
最初のビジュアル良し復元古墳群から、最後の知られざる有望古墳まで、多種多様な珍しい古墳を満喫・・・まさに古墳にコーフンの一日でした。素敵な講座を企画された「ちみち」の皆さん、講師の青山さん・和気さん、ありがとうございました!
余談ですが、帰りの道々、講師の青山さんと雑談しているうちに驚きの事実(?)が判明しました。なんと青山さんは、奉還町のあの旧県警宿舎に子どもの頃、住んでいたことがあるのだとか!というか、正確にはスターハウスの前身のボロ宿舎に住んでいて、あのスターハウスが出来上がるのを憧れのまなざしで見ていたのだそうです。完成当時のスターハウスはピカピカの最新型、各戸風呂付で、どんなに住みたいと思ったことか、と。旧宿舎は風呂なしで、あの閉鎖されている銭湯(ニューえびす湯)に通っていたそうです。当時の名称は「宝湯」だったそうですが。
青山さんはまた、岡山では珍しい“非車族”だとも知り、そんな面からも親近感が・・・。岡山の有名雑誌編集者、岡山弁の名物先生として、私なんぞから見たら雲の上の方というイメージでしたが、楽しく親しく会話させていただき、古墳講座に重ねて嬉しいひと時でした。