東京にて・・・由利ちゃんとおいぬさま |
東博で特にどうしても見たい特別展をやっていたわけではありません。「飛騨の円空」展というやや小規模な特別展にちょっと惹かれたということもありますが、昨年4月に奈良国立博で購入した国立博共通の1年パスがもうすぐ期限切れになるので、その前にもうひと押し使っておこう、とのみみっちい思惑から思い立ったというのが正直なところ。パスは「ボストン美術館展」や「正倉院展」などですでに充分モトは取れているんですがね。
もちろん円空の展示、とても良かったです。そのあと、恒例の常設展見学をしました。以前は特別展を見たらそれで帰ってしまったのですが、ここ数年は常設展もみっちり見ています。いや、これが案外面白い。むしろ常設展にハマっていると言っていいくらい。さすが国立博、それも首都の。教科書でおなじみの超有名作が目白押しです。こ、これが本物の・・・!!と、いちいち感動~。あの「踊る人埴輪」も「遮光器土偶」も本物だ~!
と、そんな中、出会いました!「吉備由利願経」。ついに現物を目にすることができた~!吉備真備の娘(妹という説もあるが、たぶん娘でしょう)が書写したと伝えられている写経です(国重文)。何巻か現存していて、特に東博のものと奈良博のものは時々展示されますが、いつもすれ違いで運悪く見れていなかったのです。(常設展は展示替えが結構あるので、目当てのものがいつでも見られるとは限らない。) 今回は博物館のHPを見る暇もなくふらりと思い付きで訪れただけ。まさに偶然のラッキーな出会いでした。
↓ 吉備由利願経・等目菩薩経卷中(巻末の部分)
展示解説によると、「吉備真備が右大臣となったのを契機に、子の由利が、国家の恩に報いるために発願した一切経の一つ。〔中略〕 大ぶりの堂々とした文字で書写した奈良時代後期を代表する写経である。」ということです。巻末の奥付にある「天平神護2年10月8日」という日付は、真備の右大臣任命の直前(正式な任命は10月20日)。なんか生々しいというか、現実にいた人々の現実にあった出来事なんだ、歴史のかなたの物語なんかじゃなく・・・と実感させられます。
真備の確かな真筆は全く伝わっていません。例えば聖武天皇や光明皇后の自筆の写経はしっかり残っていますし、藤原仲麻呂(恵美押勝)や道鏡は署名が残っていますが、なぜか真備の筆跡は現存していないのです。それだけに、真備の間近にいて活躍した娘・由利の書にはひときわの感慨を覚えます。
由利は称徳女帝側近の女官で、恵美押勝の乱から女帝崩御までの間に大きな働きをしたと史書に記録されています。それはちょうど、真備が長い地方官暮らしから中央政界にカムバックして、人生終わり近くに華々しい花を咲かせたその時期であります。優秀な娘・由利が真備の片腕として大いに活躍したであろうことがうかがわれます。女帝の側近なのだから、同じく側近女官だった和気広虫(和気清麻呂の姉)とも知り合いだったのでしょうね。宇佐八幡宣託事件の騒動の時は、由利はどうしていたんだろう、とか、いろいろ妄想してしまう。
今回、東博では他に「天下人の実像」という企画展示もあって、信長・秀吉・家康の書状や肖像画などがまとまって展示されていました。由利の写経もそうですが、このようなものを実見すると、歴史上の有名人が何だか身近に感じられてきて楽しくなります。特に秀吉の自筆の手紙は内容ともども興味深かった。北政所おね宛ての私信で、幼い豪姫(養女)や金吾(=小早川秀秋、養子)、老いた母・大政所を親身に気遣うほほえましい内容でした。秀吉の筆まめは有名でよく紹介されていますが、実物には滅多にお目にかかれません。やはり東博はすごい!
さてさて、お次は亀戸天神。吉備大臣に続いて、同じく学者出身の右大臣・菅原道真に敬意を表しに・・・、というわけでもありませんが、亀戸も上野同様、わが実家(人形町)から近くて行きやすかったからという単純な理由。『街歩きノオト』第3号の「神様どうぶつえん」(変わり種狛犬特集)以来、気になっていた亀戸天神の「おいぬさま」を見たかったから、というのもあります。
東京で有名な天神様と言えば「湯島天神」と「亀戸天神」。湯島のほうは史跡としてわりと最近もたびたび訪れていますが、亀戸のほうは自分の中学受験以来(!)。本当に久しぶりです。あまり覚えていないので、ほとんど初めてのような気分。受験シーズンなのと梅の咲き始め時期のせいか、結構な人出で賑わっていました。
↓ 亀戸天神社とスカイツリー
今やこの通り、社殿の背後には東京新名所スカイツリーが! こことスカイツリーは1キロメートルくらいしか離れていないのです。すごい間近。境内には池や藤棚・梅林がありますが、そう広くはないので、「おいぬさま」はとりあえず適当に歩いて探すことにしました。天神様の社殿にお参りしてから、ふと見回すと「御嶽神社」と書かれた大きめの摂社が目に付いたので行ってみました。そして何気にその左奥わき(「舞殿」の背後)に目を向けると、ありました!いきなり見っけ~!
犬小屋みたいな(失礼!)木造の簡単な覆い屋の中に、塩にまみれた犬の石像が祀られています。犬というか、たぶん犬だと思う・・・。そうとう磨滅しているので。掲げられた木札に「おいぬさま 病気治癒・商売繁盛」とあるだけで、何の由緒書きもないという素っ気なさ。見るからにナゾな神様です。
↓ 亀戸天神社境内の「おいぬさま」
私がこの「おいぬさま」のことを知ったのは、加門七海の著書「うわさの神仏 其の三」と、狛犬愛好家liondog氏のブログ「liondogの勉強部屋 ワタシ的狛犬考」を読んで、であります。当時、『街歩きノオト』第3号でオオカミ信仰について調べていて、犬神と塩というキーワードから偶然引っかかったのです。岡山のオオカミ信仰では、木野山神社(高梁市)でも奥御前神社(津山市)でも塩を捧げるというのが定番です。そんなことから、この亀戸の「おいぬさま」も本来は狼なのでは、と疑ったのでした。
亀戸天神の同じ境内に「御嶽神社」があるのもそれっぽいし。東京都青梅市の武蔵御嶽神社は大口真神すなわち狼様の信仰で有名で、東京にはその分社もあちこちにあります。しかも今回実際に見てみると、亀戸天神内の御嶽神社と「おいぬさま」は隣同士ぴったり並んで祀られているではありませんか!
やっぱり!と色めきたったのもつかの間、御嶽神社の現地解説板を読んでみると、その予想はまったく見当違いだったことが分かりました。ここの御嶽神社は、菅原道真の師とされる比叡山延暦寺座主・法性僧正を祀ったもので、九州大宰府御嶽山より勧請したものだということです。名称が同じだけで、狼信仰の御嶽神社とは関係ないようです。それに「おいぬさま」自体の形も、実際に見てみると、ずんぐりと丸っこくて、どう見ても狼には見えない・・・。アバラが見える(痩せている)、鼻が尖って口が裂けている、といった狼像特有の特徴はまったく見当たりません。
liondog氏のブログや加門氏の著書によると、「おいぬさま」の由来は神社側もはっきりとは把握していないそうです。一説によると、戦災に遭い埋もれていた摂社の狛犬が掘り出され、安置されていたのが、いつの間にか近隣庶民に信仰されるようになったものらしい、とのこと。同じ江東区には「塩舐め地蔵」という、同様に塩を捧げて祈願する民間信仰もあるそうで、それに影響されたのかも、ということでした。
「おいぬさま」はやっぱり犬だった・・・ということで、オオカミ説は幻と消えましたが、犬なら犬で戌年生まれの私としてはないがしろにはできません。おさい銭をあげて丁重に拝ませていただきました。笑っているように口を開け、コロッとした体型の愛嬌のある姿は、磨滅しボロボロでも・・・いや、それだけにかえって味わいがあります。何だかワケのわからない自然発生的な庶民信仰というのもいいですね。出会えて良かったです。