2012年 02月 15日
奈良again② ~玄昉バラバラ事件現場ラリー~ |
頭塔のことは、『街歩きノオト』第11号にも載せました。奈良の中心街にある、玄昉の首塚と言われてきた古墳のような土塚です(近年、学術的な発掘が行われて仏塔の一種と判明し、一部、当初の階段ピラミッド状の姿に復元されている)。
玄昉とは、吉備真備や阿倍仲麻呂らと共に渡唐し、約17年間学んだ後に真備と共に帰国して、権勢をふるった高僧です。が、やがて失脚して九州大宰府に左遷され、そこで急死しました。伝説では、政敵・藤原広嗣の怨霊に取り殺されたとされ、八つ裂きにされたバラバラ遺体が奈良の各所に落ちてきたとか。頭が落ちたという頭塔が一番有名ですが、その他にも、肘が落ちた肘塚、胴が落ちた胴塚、目と眉(!?)が落ちた眉目塚と伝えられる場所があるそうです。地名が残っているくらいで、塚そのものは今はもう無いのだろうと思っていたら、現存するという情報を見つけました。これは見に行かねば!
まずは東大寺に隣接する水門町の胴塚。ここにある胴塚弁財天の小祠がその場所だと言い伝えられているのだとか。しかし、水門町にあるというだけで詳しい場所の説明はありません。「フルコト」店長の一人、新井さんがきたまちにお詳しいというので、お尋ねしてみたところ、ずばり詳細情報を教えてくださいました。早速その足で行ってみると、ありました!
これがそれ。扁額も説明板も無いので、教えてもらわなければ判らなかったかも。塚としての形は失われていますが、何らかの神威スポットとして、形は変えても神様が祀られ続けているのでしょう。
次に、眉目塚があるという大豆山町の崇徳寺というお寺に向かいました。ここは以前も門前を通ったことがありますが、観光寺ではないためいつも門が閉まっています。しかし、新井さんによると、実は横の通用門から自由に入れるのだとか。地元情報ありがとうございますっ! 一応寺務所に声を掛けると、ご住職の奥さまらしき方が出てこられて、「痕跡くらいしか残っていませんが、どうぞ。」と案内してくださいました。本堂裏手のミニ庭園みたいになっている場所がそれ。
築山のように少し高くなった部分に赤い鳥居と祠や小さな石塔が立っています。鳥居や祠や石塔は後から立てたもので関係ないそう。元々ただこんもりとした土塚だっただけ、ということです。
次に向かったのは、その名も肘塚(かいなづか)町。ならまちを通り抜けた南のほうです。ここの道沿いにクヌギの古木と小祠があり、この場所が一説によると玄昉の肘塚だと言われているそうです。私が読んだ本には写真も載っていました。すぐに見つかりましたが、写真とだいぶ違う。クヌギが剪定されたばかりなのか丸坊主で、とっても情けない姿。弘法大師が杖を挿したらクヌギの樹になったという伝説の樹なのだそうですが…。
かなり駆け足ではありましたが、目標の場所すべてを踏破できました。奈良では観光振興のためのスタンプラリーがいくつも設けられていますが、こんな超マイナーなラリーをする人は滅多にいないでしょうね。玄昉バラバラ事件現場ラリー達成! ホラーな伝説の主にされて気の毒な玄昉さんですが、本当はとても優秀なお坊さんだったそうです。お安らかに…冥福を祈りました。

まずは東大寺に隣接する水門町の胴塚。ここにある胴塚弁財天の小祠がその場所だと言い伝えられているのだとか。しかし、水門町にあるというだけで詳しい場所の説明はありません。「フルコト」店長の一人、新井さんがきたまちにお詳しいというので、お尋ねしてみたところ、ずばり詳細情報を教えてくださいました。早速その足で行ってみると、ありました!

次に、眉目塚があるという大豆山町の崇徳寺というお寺に向かいました。ここは以前も門前を通ったことがありますが、観光寺ではないためいつも門が閉まっています。しかし、新井さんによると、実は横の通用門から自由に入れるのだとか。地元情報ありがとうございますっ! 一応寺務所に声を掛けると、ご住職の奥さまらしき方が出てこられて、「痕跡くらいしか残っていませんが、どうぞ。」と案内してくださいました。本堂裏手のミニ庭園みたいになっている場所がそれ。

次に向かったのは、その名も肘塚(かいなづか)町。ならまちを通り抜けた南のほうです。ここの道沿いにクヌギの古木と小祠があり、この場所が一説によると玄昉の肘塚だと言われているそうです。私が読んだ本には写真も載っていました。すぐに見つかりましたが、写真とだいぶ違う。クヌギが剪定されたばかりなのか丸坊主で、とっても情けない姿。弘法大師が杖を挿したらクヌギの樹になったという伝説の樹なのだそうですが…。

かなり駆け足ではありましたが、目標の場所すべてを踏破できました。奈良では観光振興のためのスタンプラリーがいくつも設けられていますが、こんな超マイナーなラリーをする人は滅多にいないでしょうね。玄昉バラバラ事件現場ラリー達成! ホラーな伝説の主にされて気の毒な玄昉さんですが、本当はとても優秀なお坊さんだったそうです。お安らかに…冥福を祈りました。
by machiarukinote
| 2012-02-15 15:08
| 街歩きレポート
|
Comments(11)
お役に立てたようで、ほっとするやら、うれしいやら。
それにしても崇徳寺の眉目塚が本堂裏とはまったく存じませんでした。
こんど訪ねてみたいと思います。
ありがとうございました。
また遊びにいらしてくださいませね。
あるじの一人、新井シノブ
それにしても崇徳寺の眉目塚が本堂裏とはまったく存じませんでした。
こんど訪ねてみたいと思います。
ありがとうございました。
また遊びにいらしてくださいませね。
あるじの一人、新井シノブ
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新井様、こちらこそ本当にありがとうございました!
おかげさまで、以前から気になっていた玄昉ゆかりの地を一気に踏破することが出来ました。すごい達成感と満足感!
胴塚弁財天は「しろあむ」さんのちょっと西寄り、道がカギの手になった所にありました。行き過ぎて吉城川の橋まで行ってふと振り返ったら、教えてくださった写真と同じ光景が!画像を見せていただいたお陰です。
「フルコト」すごい!マニアック情報の宝庫ですね。また寄らせていただきます!
次は「しろあむ」にも行ってみたいです。ここは、岡山が誇る万華鏡作家macotoさんの作品を扱っていることで気になっていました。
はや次の奈良旅計画を思い描いています。またよろしくお願いします!
おかげさまで、以前から気になっていた玄昉ゆかりの地を一気に踏破することが出来ました。すごい達成感と満足感!
胴塚弁財天は「しろあむ」さんのちょっと西寄り、道がカギの手になった所にありました。行き過ぎて吉城川の橋まで行ってふと振り返ったら、教えてくださった写真と同じ光景が!画像を見せていただいたお陰です。
「フルコト」すごい!マニアック情報の宝庫ですね。また寄らせていただきます!
次は「しろあむ」にも行ってみたいです。ここは、岡山が誇る万華鏡作家macotoさんの作品を扱っていることで気になっていました。
はや次の奈良旅計画を思い描いています。またよろしくお願いします!
階段状のこの積石構造は、熊山の石積と似ていないでしょうか。
大きさが違うだけでそっくりですよね。熊山遺跡のレポートは当ブログ2012年6月25日付に載せています。http://machinooto.exblog.jp/15633027/ 大和と吉備に珍しいそっくりなものがある、って不思議ですね。誰のどういうつながりなんだろう?
今気が付きました。玄昉は真備とともに唐に留学しました。帰ってから一緒に仕事もしていたと思います。その関係がどんなものなのでしょうか。熊山遺跡はその関係の一つではないですか。真備は唐招提寺の鑑真を連れて一緒に帰国しましたよね。玄昉と真備、積石は興味深いですね、ぜひそのあたりをお教えください。道鏡と一緒になってしまったかな、・・・・済みません。
真備が中宮亮だった頃に、玄昉が聖武天皇の母・宮子を癒していますよね。連携してコトに当たったとも言われています。広嗣の上奏文では、二人はひとからげに非難されていますし、ペアとみなされていたんでしょうね。実際、仲が良かったのかは分かりませんが…。適度な距離を保っていたからこそ、玄昉失脚の時、真備はもろに余波を被らずに、のちにゆるやかな左遷で済んだのかもしれません。
熊山遺跡は鑑真とは直接関係ないそうですし、頭塔も実忠が作らせた仏塔で玄昉とは関係ないらしい。現実の歴史では、真備も報恩大師も絡む余地はなさそうです。そうだったら面白かったのにね~。
熊山遺跡は、神護寺を創建するなど、新興密教(山岳仏教)の振興に努めた和気清麻呂勢力と何か関係あるのでは、とする説もあるようです。
熊山遺跡は鑑真とは直接関係ないそうですし、頭塔も実忠が作らせた仏塔で玄昉とは関係ないらしい。現実の歴史では、真備も報恩大師も絡む余地はなさそうです。そうだったら面白かったのにね~。
熊山遺跡は、神護寺を創建するなど、新興密教(山岳仏教)の振興に努めた和気清麻呂勢力と何か関係あるのでは、とする説もあるようです。
和気清麻呂は藤原郡、後に藤野郡と改名 を後に領有したようです。吉備国に対抗する楔として入った勢力 別・・百済 美作・・・ の様に見え、真備とは対立関係にあるように思います。特に山部、百川が775年に真備、井上、他戸などを排除し、天武系という血統をすべて排除、吉備国系をも完全に排除したもののように思います。このあたり歴史は怨霊、呪詛などとして記述説明がされていますが、淀君、秀頼・・・が排除された歴史に重ねてみると理解できそうに思っているところですが。さて、熊山はどんな関係になるのでしょうか。
確かに、古代吉備最後の輝きを背負っていた真備に比べ、和気清麻呂には古代吉備を代表するイメージは全くありませんね。彼は、桓武天皇と共に、それまでの古代的なものを排除することに邁進した、いわば当時の“新人類”というふうに見えます。だからと言って、桓武や清麻呂を悪者扱いするつもりもありませんが。時代の要請というか、それまでの国の運営が行き詰ったのを荒治療したという意味では、偉業を成した人たちだと思っています。
清麻呂の子孫は代々朝廷の侍医を務める家系となったそうで、「職能」貴族となって生き残ったところも、いかにもどっぷり平安貴族という感じですね。一方、真備は娘・息子の代までがかろうじて史書に記録されているだけで、それ以降は歴史上全く行方不明(陰陽師の賀茂氏はフィクションだし)。かつては力を誇った古代吉備勢力の、最後の輝きは、故意に封じ込められたという印象は受けます。その後ろめたさが御霊神社の吉備聖霊なのかな。
熊山と関係ない話でスミマセン。
清麻呂の子孫は代々朝廷の侍医を務める家系となったそうで、「職能」貴族となって生き残ったところも、いかにもどっぷり平安貴族という感じですね。一方、真備は娘・息子の代までがかろうじて史書に記録されているだけで、それ以降は歴史上全く行方不明(陰陽師の賀茂氏はフィクションだし)。かつては力を誇った古代吉備勢力の、最後の輝きは、故意に封じ込められたという印象は受けます。その後ろめたさが御霊神社の吉備聖霊なのかな。
熊山と関係ない話でスミマセン。
和気公はこの井上廃后暗殺事件にかかわっていたんでしょうか?
光仁天皇の治世下のことだし、皇太子でもない妾腹の親王が義母である皇后を廃するにはちと無理があるのでは?
むしろ光仁天皇本人が天武系&直系の皇女をめとったことで天皇になった以上用無しで殺された感じがしますが。
和気公としてはかつては自分を可愛がってくれていた天皇の姉が暗殺されたことにショックを受けたのではないでしょうか?
井上廃后の祟りに悩んでいた桓武天皇とは目的が異なりますが宇佐八幡宮の人事異動と同じように何かを改めたかったんじゃないかなと思いますが。
医者の家系になったのは毒殺された井上廃后への鎮魂の意味を込めて、吉備国の楔はむしろ朝廷への密かな牽制だったのかなと思います。
でなかったら和気公も天皇家と一緒に井上廃后とかにたたられてると思います。
ぐだぐだ分からないことを書きましたが、光仁天皇本人がクローズアップされていないので気になったので書かせていただきました。
光仁天皇の治世下のことだし、皇太子でもない妾腹の親王が義母である皇后を廃するにはちと無理があるのでは?
むしろ光仁天皇本人が天武系&直系の皇女をめとったことで天皇になった以上用無しで殺された感じがしますが。
和気公としてはかつては自分を可愛がってくれていた天皇の姉が暗殺されたことにショックを受けたのではないでしょうか?
井上廃后の祟りに悩んでいた桓武天皇とは目的が異なりますが宇佐八幡宮の人事異動と同じように何かを改めたかったんじゃないかなと思いますが。
医者の家系になったのは毒殺された井上廃后への鎮魂の意味を込めて、吉備国の楔はむしろ朝廷への密かな牽制だったのかなと思います。
でなかったら和気公も天皇家と一緒に井上廃后とかにたたられてると思います。
ぐだぐだ分からないことを書きましたが、光仁天皇本人がクローズアップされていないので気になったので書かせていただきました。
お世話になります。
肘塚は椚神社ではなく、この神社の裏だと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E8%8B%A5%E5%AE%AE%E7%A4%BE_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E4%B8%AD%E8%BE%BB%E7%94%BA)
肘塚は椚神社ではなく、この神社の裏だと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E8%8B%A5%E5%AE%AE%E7%A4%BE_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E4%B8%AD%E8%BE%BB%E7%94%BA)
こちずふあんさん、コメントありがとうございます。
お返事遅れてすみません。
貴重なご指摘ありがとうございます。春日若宮社はグーグルマップストリートビューで確認しましたが、その裏にあるのですか?知りませんでした。
しばらく奈良を訪問していませんが、これは現地を確認せねば!少し前に火事の飛び火騒ぎがあった崇道天皇社も再訪したいし・・・。コロナ禍が早く収まってほしいものですね。
お返事遅れてすみません。
貴重なご指摘ありがとうございます。春日若宮社はグーグルマップストリートビューで確認しましたが、その裏にあるのですか?知りませんでした。
しばらく奈良を訪問していませんが、これは現地を確認せねば!少し前に火事の飛び火騒ぎがあった崇道天皇社も再訪したいし・・・。コロナ禍が早く収まってほしいものですね。

