2011年 11月 21日
天平時代小説 『阿修羅』 |
天平時代を扱った小説をまた一つ見つけました。新人物文庫(新人物往来社)で2009年に出版されている本ですが、元々は1995年に出版されているらしいので、そんなに新しい作品ではないようです。平城京遷都1300年祭に便乗して文庫本化再販されたのかな。
表紙が有名な興福寺の阿修羅像の顔のアップで、題名もこれ。てっきり、阿修羅像を作った仏師の話か何かかと思ってましたが、実は「奈良麻呂の変」の橘奈良麻呂が主人公です。マニアック!
橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)とは、聖武天皇治世後期~孝謙女帝治世に右大臣・左大臣(つまり政界トップ)を務めた橘諸兄(たちばなのもろえ)の嫡男で、父の死後、藤原仲麻呂(光明皇后の甥)の専横に憤り蜂起しようとして捕えられ、刑死した歴史上の人物です。「奈良麻呂の変」は歴史的には結構重要な事件ですが(私の大好きな小説『天平冥所図会』にも、その背景の一部として使われている)、誰でも知っている超有名な事件というわけではないし、彼の名を知る人もかなりの歴史マニアに限られていると思います。そんな人物を描いた小説と知り、矢も盾もたまらず本書を入手しました。
主人公・奈良麻呂は 、父は皇族出身の橘諸兄、母は光明皇后の妹・多比能(たびの)という貴種ですが、小説では出生に秘密があるということになっていて、奈良麻呂は思春期にそのことを知り、深く苦悩します。知り合いの若い仏師がその姿を見て、阿修羅像のインスピレーションを得る(もちろん創作。史実ではない)、ということで、こういう題名が付けられています。
奈良麻呂は何とか悩みを克服して、聡明な青年に成長し、政権を担う父の傍らで、有能な官僚として父の政務を支えていきますが、その中で藤原一族の狡猾さ・恐ろしさをたびたび痛感することになります。奈良麻呂の出生の秘密も藤原氏の陰謀に端を発しているのですが、そのような私的な恨みに加え、世の不正を憎む公憤も積み重なり、ついにクーデターに立ち上がる、というわけです。そこに至るまでの主人公やその周辺の人々の心の動きが丹念に描かれていて、引きこまれました。作者の想像で補ったフィクションも加えられていますが、それほど不自然さもなく、歴史上の人物にしっかり血肉が与えられているという感じです。
小説には当然、この時代の有名人がオンパレードで登場します。聖武天皇、光明皇后、娘の孝謙女帝をはじめ、元正上皇、橘諸兄、橘三千代、藤原仲麻呂、藤原広嗣、大伴家持、吉備真備、玄昉etc. 細かい所では、『天平冥所図会』でユニークな活躍(?)をする鴨角足(かものつのたり)も! 天平マニアとしては、この顔ぶれだけでもうルンルンしてしまいます。
敵役なので仕方ないのかもしれませんが、光明皇后や藤原仲麻呂が冷血な悪の権化みたいに描かれているのは、ちょっと気の毒にも思えました。主人公側の人々の内面は丁寧に掘り下げているのに対し、敵役はステレオタイプ過ぎるような…。悪者には悪者なりの論理や心の葛藤などもあると思いますので、その辺が描かれていたらもっと話に深みが出ていたかも。
一方で、以前から興味を持っていた橘諸兄が、丁寧に描かれていたのは嬉しかったです。気弱で凡庸な事なかれ主義の政治家として描写されることも多い彼ですが、ここでは、微妙な政治的立場の板挟み状態に悩みながら、自分の力の限界を自覚しつつも誠実に使命をこなしていく人物として、魅力的に描かれていました。
橘政権側からの視点なので、吉備真備や玄昉も当然好意的に扱われています。真備の登場する場面はそう多くはないものの、主人公・奈良麻呂の大学での師という重要な位置付けです。小説半ばで、藤原仲麻呂が台頭してくると、真備は仲麻呂にうとまれて九州に飛ばされたり、再度の渡唐を命じられたり、またまた九州に飛ばされたり、と政治的イジメの連打に会うのですが、これらの出来事も奈良麻呂の公憤のタネの一つとなっていく、というわけです。
奈良麻呂の変は、決行直前に密告によって発覚し、首謀者たちはすべて捕えられて残酷な拷問で獄死してしまう、というのは動かしがたい史実なので、先が分かっている身としては、常に切ない気持で読み進めざるをえないのはツラいところ。小説は、主人公の死という悲劇で幕を閉じます。こんなに頑張ったのに、「悪」が生き残っちゃうんですよね~。しかし、歴史を知っている者なら、傲慢な「悪」藤原仲麻呂の破滅もそう遠い先ではない、と思い浮かぶはず。奈良麻呂の「師」(←多分、これはフィクションでしょうが…)吉備真備が、孝謙上皇に呼び戻されて軍事参謀となり、蜂起した仲麻呂を討つのです(恵美押勝の乱)。
が、考えてみると、仲麻呂個人は滅びても、藤原氏自体は、称徳(=孝謙)女帝の短い治世(道鏡が力を持ち、真備が右大臣を務めた時代)には一旦鳴りをひそめるものの、女帝没後は再び主導権を握り、以後、長い平安時代を通じて朝廷で権力をふるい続けるわけで、実にしたたかというか、しぶといというか…。しかし、そんな巨悪(単純に「悪」と決めつけてしまうのもナンですが)に、結果的な勝ち負けは別として、ひとり決然と立ち向かったところに人間の生き方としての魅力があるわけですよね。やるだけやって人生をまっとうする橘諸兄や吉備真備と違って、奈良麻呂はまだ若い壮年期にあたら命を散らしてしまうので、物語としてはちょっと納まりが悪いけど。
ところで、この小説では悪役でいいとこなしの藤原仲麻呂や光明皇后にも、ちゃんとスポットライトを当てて書いてくれるライターが現れることを期待しています。仲麻呂は、権力欲の権化にみたいな武張ったイメージを持たれがちだけど、もともとは学者肌で教養豊かな大秀才だそうです。(おまけにイケメンだったとか。) そんな人物がどうしてああいう道を進むことになったのか? よほど周りが馬鹿ばかりに見えて、自分がすべて仕切れると考えたのか? 藤原氏一族の中でも長男(後継ぎ)じゃないという立場上のコンプレックスがあったのかもしれないし、学才を誇っていたのに、もっと本場の学問を身に付けた真備のような人物が現れ活躍し始めてしまったことによるコンプレックスがあったのかもしれない…。小説『天平冥所図会』では“策士、策に溺れる“といったような人物として描かれていました。自分が陰謀でのし上がっただけに、他人も陰謀をしかけてくるのでは、と猜疑心の塊となり、より一層陰謀を張りめぐらすことで余計な敵をあちこちに作り、自滅していく、といったような。
光明皇后も面白い人物です。聖武天皇と夫唱婦随で仏教政策と中央集権を推し進めた女傑というのが一般的評価ですが、仏教の世界では聖女的なエピソードも沢山ある一方、藤原氏の娘ということで、藤原氏の野望の要の人物として悪女的に描かれることも多い。言い伝えでは絶世の美女ということになっていて、なぜか色っぽい味付けのエピソードが目立つのも不思議です。例えば、光明皇后と玄昉の不倫現場を藤原広嗣が目撃して、聖武天皇に告げ口するのですが、天皇が行ってみると、観音様が二人、ひとつ布団で衆民救済について話し合っているというありがたき奇跡の光景があった、広嗣は不敬なウソつきとして九州に左遷された、って話。なんだこれ!仏教的に何が言いたいのか?? (史実的にもめちゃくちゃだし) 光明皇后の史実としての人物像も興味深いけれど、真備みたいに伝説面を追及するのも面白そうです。
って、私がやるんじゃありませんよ。シロウトの私の手にはおえません。どなたか、中世説話・仏教説話などの研究者の方にでもお願いしたいです。できれば新書とかの一般人でも分かりやすいレベルで。
表紙が有名な興福寺の阿修羅像の顔のアップで、題名もこれ。てっきり、阿修羅像を作った仏師の話か何かかと思ってましたが、実は「奈良麻呂の変」の橘奈良麻呂が主人公です。マニアック!

橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)とは、聖武天皇治世後期~孝謙女帝治世に右大臣・左大臣(つまり政界トップ)を務めた橘諸兄(たちばなのもろえ)の嫡男で、父の死後、藤原仲麻呂(光明皇后の甥)の専横に憤り蜂起しようとして捕えられ、刑死した歴史上の人物です。「奈良麻呂の変」は歴史的には結構重要な事件ですが(私の大好きな小説『天平冥所図会』にも、その背景の一部として使われている)、誰でも知っている超有名な事件というわけではないし、彼の名を知る人もかなりの歴史マニアに限られていると思います。そんな人物を描いた小説と知り、矢も盾もたまらず本書を入手しました。
主人公・奈良麻呂は 、父は皇族出身の橘諸兄、母は光明皇后の妹・多比能(たびの)という貴種ですが、小説では出生に秘密があるということになっていて、奈良麻呂は思春期にそのことを知り、深く苦悩します。知り合いの若い仏師がその姿を見て、阿修羅像のインスピレーションを得る(もちろん創作。史実ではない)、ということで、こういう題名が付けられています。
奈良麻呂は何とか悩みを克服して、聡明な青年に成長し、政権を担う父の傍らで、有能な官僚として父の政務を支えていきますが、その中で藤原一族の狡猾さ・恐ろしさをたびたび痛感することになります。奈良麻呂の出生の秘密も藤原氏の陰謀に端を発しているのですが、そのような私的な恨みに加え、世の不正を憎む公憤も積み重なり、ついにクーデターに立ち上がる、というわけです。そこに至るまでの主人公やその周辺の人々の心の動きが丹念に描かれていて、引きこまれました。作者の想像で補ったフィクションも加えられていますが、それほど不自然さもなく、歴史上の人物にしっかり血肉が与えられているという感じです。
小説には当然、この時代の有名人がオンパレードで登場します。聖武天皇、光明皇后、娘の孝謙女帝をはじめ、元正上皇、橘諸兄、橘三千代、藤原仲麻呂、藤原広嗣、大伴家持、吉備真備、玄昉etc. 細かい所では、『天平冥所図会』でユニークな活躍(?)をする鴨角足(かものつのたり)も! 天平マニアとしては、この顔ぶれだけでもうルンルンしてしまいます。
敵役なので仕方ないのかもしれませんが、光明皇后や藤原仲麻呂が冷血な悪の権化みたいに描かれているのは、ちょっと気の毒にも思えました。主人公側の人々の内面は丁寧に掘り下げているのに対し、敵役はステレオタイプ過ぎるような…。悪者には悪者なりの論理や心の葛藤などもあると思いますので、その辺が描かれていたらもっと話に深みが出ていたかも。
一方で、以前から興味を持っていた橘諸兄が、丁寧に描かれていたのは嬉しかったです。気弱で凡庸な事なかれ主義の政治家として描写されることも多い彼ですが、ここでは、微妙な政治的立場の板挟み状態に悩みながら、自分の力の限界を自覚しつつも誠実に使命をこなしていく人物として、魅力的に描かれていました。
橘政権側からの視点なので、吉備真備や玄昉も当然好意的に扱われています。真備の登場する場面はそう多くはないものの、主人公・奈良麻呂の大学での師という重要な位置付けです。小説半ばで、藤原仲麻呂が台頭してくると、真備は仲麻呂にうとまれて九州に飛ばされたり、再度の渡唐を命じられたり、またまた九州に飛ばされたり、と政治的イジメの連打に会うのですが、これらの出来事も奈良麻呂の公憤のタネの一つとなっていく、というわけです。
奈良麻呂の変は、決行直前に密告によって発覚し、首謀者たちはすべて捕えられて残酷な拷問で獄死してしまう、というのは動かしがたい史実なので、先が分かっている身としては、常に切ない気持で読み進めざるをえないのはツラいところ。小説は、主人公の死という悲劇で幕を閉じます。こんなに頑張ったのに、「悪」が生き残っちゃうんですよね~。しかし、歴史を知っている者なら、傲慢な「悪」藤原仲麻呂の破滅もそう遠い先ではない、と思い浮かぶはず。奈良麻呂の「師」(←多分、これはフィクションでしょうが…)吉備真備が、孝謙上皇に呼び戻されて軍事参謀となり、蜂起した仲麻呂を討つのです(恵美押勝の乱)。
が、考えてみると、仲麻呂個人は滅びても、藤原氏自体は、称徳(=孝謙)女帝の短い治世(道鏡が力を持ち、真備が右大臣を務めた時代)には一旦鳴りをひそめるものの、女帝没後は再び主導権を握り、以後、長い平安時代を通じて朝廷で権力をふるい続けるわけで、実にしたたかというか、しぶといというか…。しかし、そんな巨悪(単純に「悪」と決めつけてしまうのもナンですが)に、結果的な勝ち負けは別として、ひとり決然と立ち向かったところに人間の生き方としての魅力があるわけですよね。やるだけやって人生をまっとうする橘諸兄や吉備真備と違って、奈良麻呂はまだ若い壮年期にあたら命を散らしてしまうので、物語としてはちょっと納まりが悪いけど。
ところで、この小説では悪役でいいとこなしの藤原仲麻呂や光明皇后にも、ちゃんとスポットライトを当てて書いてくれるライターが現れることを期待しています。仲麻呂は、権力欲の権化にみたいな武張ったイメージを持たれがちだけど、もともとは学者肌で教養豊かな大秀才だそうです。(おまけにイケメンだったとか。) そんな人物がどうしてああいう道を進むことになったのか? よほど周りが馬鹿ばかりに見えて、自分がすべて仕切れると考えたのか? 藤原氏一族の中でも長男(後継ぎ)じゃないという立場上のコンプレックスがあったのかもしれないし、学才を誇っていたのに、もっと本場の学問を身に付けた真備のような人物が現れ活躍し始めてしまったことによるコンプレックスがあったのかもしれない…。小説『天平冥所図会』では“策士、策に溺れる“といったような人物として描かれていました。自分が陰謀でのし上がっただけに、他人も陰謀をしかけてくるのでは、と猜疑心の塊となり、より一層陰謀を張りめぐらすことで余計な敵をあちこちに作り、自滅していく、といったような。
光明皇后も面白い人物です。聖武天皇と夫唱婦随で仏教政策と中央集権を推し進めた女傑というのが一般的評価ですが、仏教の世界では聖女的なエピソードも沢山ある一方、藤原氏の娘ということで、藤原氏の野望の要の人物として悪女的に描かれることも多い。言い伝えでは絶世の美女ということになっていて、なぜか色っぽい味付けのエピソードが目立つのも不思議です。例えば、光明皇后と玄昉の不倫現場を藤原広嗣が目撃して、聖武天皇に告げ口するのですが、天皇が行ってみると、観音様が二人、ひとつ布団で衆民救済について話し合っているというありがたき奇跡の光景があった、広嗣は不敬なウソつきとして九州に左遷された、って話。なんだこれ!仏教的に何が言いたいのか?? (史実的にもめちゃくちゃだし) 光明皇后の史実としての人物像も興味深いけれど、真備みたいに伝説面を追及するのも面白そうです。
って、私がやるんじゃありませんよ。シロウトの私の手にはおえません。どなたか、中世説話・仏教説話などの研究者の方にでもお願いしたいです。できれば新書とかの一般人でも分かりやすいレベルで。
by machiarukinote
| 2011-11-21 13:27
| 読書など
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