2011年 02月 16日
吉備真備の「ふるさと」訪問(その1) |
和気清麻呂ゆかりの地、和気訪問(1月26日)に引き続き、吉備真備ゆかりの地を歩いて来ました。岡山の「古代の有名人」シリーズです。
前日がたまたま岡山県南には珍しい大雪だったため、積雪が残る中の街歩きとなりました。和気でも突然の一時的な雪に見舞われたし、このシリーズ(?)雪に縁があるみたい。
行き先は、倉敷市真備町と小田郡矢掛町にまたがった一帯。井原鉄道の駅でいうと、吉備真備駅から三谷駅までの沿線です。吉備真備駅で降りて、約7キロの道のりをひたすら歩きました。見どころが散在しているので、そうせざるを得ないのです。車だったら一瞬だろうけど。このまとまりのなさが、街歩きとしてはネックです。吉備真備駅周辺と三谷駅周辺に比較的集中してはいるのですが、その中間に「琴弾岩」という絶対外せないスポットがあるため、結局ぜんぶ歩き通すハメに・・・。
なぜ真備ゆかりの史跡群が離れた2ヶ所に存在しているのかというと、矢掛町と真備町双方が真備生誕地の本家争いをしているからです。館跡、産湯の井戸、墓、ゆかりの寺・神社、真備を顕彰する公園、いずれもが双方の地にある! 完全に張り合っています。大昔のことゆえ、「ここ!」というはっきりした決め手がなくて、こういうことになっちゃったようなのです。
でも、そもそも真備は大和(奈良県)生まれの可能性が非常に高く、隠居し没したのも大和とする説が有力なので、産湯の井戸や墓を云々すること自体無意味と言わざるを得ない、という皮肉な現実が・・・。とはいえ、真備の父がこの地で生まれ育ったことは確かなようですし、真備の出身氏族「下道氏」の本拠地がこのあたりだったことも確かなので、真備ゆかりの地を称する立派な根拠はあるわけです。あの時代、真備は地方豪族出身としては中央で異例の出世を果たした人物であり、古来地元の人々がおらが里の「大臣」と誇りにするのももっともなこと。墓だの井戸だの屋敷跡といった伝承は古くからあったようで、昨今の観光用でっち上げというわけでは決してありません。
吉備真備駅近くでは、まず「まきび公園」が大々的に訪問者を迎えてくれます。
隣接地というかほとんど敷地内に、吉備氏ゆかりの寺という「吉備寺」と真備の墓と言い伝えられている「吉備公墳」があります。どちらも古色を帯びたなかなかの史跡。厳密に歴史的に言えば真備にまでは遡らないにしても、かなり古いものであることは確かなようです。
↓ 「吉備寺」 山門やお堂は江戸時代のものだそう。なかなか雰囲気あります。
↓ 「吉備公墳」 吉備公の墓との言い伝えがある宝篋印塔。実際は鎌倉時代のものらしい。
公園内には、入場無料の小資料館と、お食事処兼お土産屋の中国風建物があり、普通の平日だったにもかかわらずどちらもちゃんと開いていました。資料館には、真備関連の有名な書画がコピー(複製)ながらいろいろ展示されています。特に「吉備大臣入唐絵巻」の複製が良かった。ボストン美術館所蔵のこの有名な絵巻は、昨年春に奈良国立博物館で一部が来日特別展示されましたが(私は行けませんでした)、ここでは複製(画集からのコピー)とはいえタダで全部ゆっくり見れますよ!この絵巻、どことなくユーモラスで好きです。
まきび公園から300mほど離れた所に、「真備公館址」の碑と「真備公産湯の井戸」があります。この井戸はえらく豪華に整備され切っちゃっていて、驚かされます。しかしこれは、現在も飲用する人がいる現役の井戸だからこそのようです。単なる史跡としての古井戸ではないのですね。この水でコーヒーを淹れたら甘みがあって美味しかった、とブログで書いている人を見つけました。もともとは地域の人の共同井戸だったのかも。下道氏(吉備氏)館伝承地の近くにたまたまあったので、「産湯の井戸」にされてしまったらしい。
↓ 真備町側の「真備公産湯の井戸」 中国風の覆い屋を持つ近代的設備の現役井戸。
さて、矢掛町のほう(三谷駅東約1.4キロ)にも真備を顕彰する「吉備真備公園」があります。真備の館址とされる地に作られた公園で、巨大な真備の銅像が売り。
産湯の井戸や食事処の中国風建物、敷地に隣接して「吉備大臣宮」という具合に、真備町の「まきび公園」とコンセプトがかなり似ています。そうとうお金の掛かっていそうな豪華な公園なのに、ひと気も無くガランとしてて超寂しかった・・・。お食事処もお昼前後の3時間程度しか開けないらしく、私が訪れた時には閉まってました。神社も無人で、お守りも入手できずじまい。ただし、公園の植栽は良く手入れされていたので、花の季節になればもっと華やかになって人出もあるのかもしれません。神社には季節がら合格祈願の絵馬が沢山下がっていて、地元の参詣者もそこそこいる模様。学問の才人・真備に祈願したら、天神様こと菅原道真公より効き目がありそうですね。(何しろ真備は大宰府に左遷されても復活して、ついには右大臣に昇り、天寿を全うしたのですから!)
↓ 「吉備大臣宮」 建物は新しそうだけど、三連の石鳥居は雰囲気あり。
↓ 矢掛町側の「吉備大臣産湯の井戸」 こちらはシンプル。
この公園から三谷駅方面へ600mほど行った所には、「下道氏の墓域」という史跡があります。真備の祖母の骨壷が出土した場所だそうで、これはちゃんとした考古学的裏付けがあるのだそう。とはいっても、真備その人にちなむものではなく、祖母というのがちょっと苦しい・・・。石碑と墓石の名残(?)みたいな石が僅かにあるだけの地味~な史跡でした。
↓ 「下道氏墓域」 祖母の墓なのに石碑の銘が「真吉備公之墓」なのはご愛嬌。
最後に、三谷駅近くにある「圀勝寺」というお寺へ。ここは、真備の父親の名「圀勝」を寺名にしていて、吉備氏ゆかりの寺と称していますが、前述の江戸時代に出土した真備の祖母の骨壷を、殿様の命令でたまたま預かり、お祀りすることになったという程度のゆかりです。寺の建物も新しそうでどうということなかったけれど、椿の見事な大木が有名だそうで、開花時にはカメラ持参の見物客が押し掛けるとか。残念ながら今はまだ固い蕾でした。
二つの真備の「ふるさと」史跡の他に、その中間にある「琴弾岩」も訪ねましたが、訪れた他の史跡のことも含め、長くなるので続きはまた明日・・・。
前日がたまたま岡山県南には珍しい大雪だったため、積雪が残る中の街歩きとなりました。和気でも突然の一時的な雪に見舞われたし、このシリーズ(?)雪に縁があるみたい。
行き先は、倉敷市真備町と小田郡矢掛町にまたがった一帯。井原鉄道の駅でいうと、吉備真備駅から三谷駅までの沿線です。吉備真備駅で降りて、約7キロの道のりをひたすら歩きました。見どころが散在しているので、そうせざるを得ないのです。車だったら一瞬だろうけど。このまとまりのなさが、街歩きとしてはネックです。吉備真備駅周辺と三谷駅周辺に比較的集中してはいるのですが、その中間に「琴弾岩」という絶対外せないスポットがあるため、結局ぜんぶ歩き通すハメに・・・。
なぜ真備ゆかりの史跡群が離れた2ヶ所に存在しているのかというと、矢掛町と真備町双方が真備生誕地の本家争いをしているからです。館跡、産湯の井戸、墓、ゆかりの寺・神社、真備を顕彰する公園、いずれもが双方の地にある! 完全に張り合っています。大昔のことゆえ、「ここ!」というはっきりした決め手がなくて、こういうことになっちゃったようなのです。
でも、そもそも真備は大和(奈良県)生まれの可能性が非常に高く、隠居し没したのも大和とする説が有力なので、産湯の井戸や墓を云々すること自体無意味と言わざるを得ない、という皮肉な現実が・・・。とはいえ、真備の父がこの地で生まれ育ったことは確かなようですし、真備の出身氏族「下道氏」の本拠地がこのあたりだったことも確かなので、真備ゆかりの地を称する立派な根拠はあるわけです。あの時代、真備は地方豪族出身としては中央で異例の出世を果たした人物であり、古来地元の人々がおらが里の「大臣」と誇りにするのももっともなこと。墓だの井戸だの屋敷跡といった伝承は古くからあったようで、昨今の観光用でっち上げというわけでは決してありません。
吉備真備駅近くでは、まず「まきび公園」が大々的に訪問者を迎えてくれます。

隣接地というかほとんど敷地内に、吉備氏ゆかりの寺という「吉備寺」と真備の墓と言い伝えられている「吉備公墳」があります。どちらも古色を帯びたなかなかの史跡。厳密に歴史的に言えば真備にまでは遡らないにしても、かなり古いものであることは確かなようです。
↓ 「吉備寺」 山門やお堂は江戸時代のものだそう。なかなか雰囲気あります。

↓ 「吉備公墳」 吉備公の墓との言い伝えがある宝篋印塔。実際は鎌倉時代のものらしい。

公園内には、入場無料の小資料館と、お食事処兼お土産屋の中国風建物があり、普通の平日だったにもかかわらずどちらもちゃんと開いていました。資料館には、真備関連の有名な書画がコピー(複製)ながらいろいろ展示されています。特に「吉備大臣入唐絵巻」の複製が良かった。ボストン美術館所蔵のこの有名な絵巻は、昨年春に奈良国立博物館で一部が来日特別展示されましたが(私は行けませんでした)、ここでは複製(画集からのコピー)とはいえタダで全部ゆっくり見れますよ!この絵巻、どことなくユーモラスで好きです。
まきび公園から300mほど離れた所に、「真備公館址」の碑と「真備公産湯の井戸」があります。この井戸はえらく豪華に整備され切っちゃっていて、驚かされます。しかしこれは、現在も飲用する人がいる現役の井戸だからこそのようです。単なる史跡としての古井戸ではないのですね。この水でコーヒーを淹れたら甘みがあって美味しかった、とブログで書いている人を見つけました。もともとは地域の人の共同井戸だったのかも。下道氏(吉備氏)館伝承地の近くにたまたまあったので、「産湯の井戸」にされてしまったらしい。
↓ 真備町側の「真備公産湯の井戸」 中国風の覆い屋を持つ近代的設備の現役井戸。

さて、矢掛町のほう(三谷駅東約1.4キロ)にも真備を顕彰する「吉備真備公園」があります。真備の館址とされる地に作られた公園で、巨大な真備の銅像が売り。

産湯の井戸や食事処の中国風建物、敷地に隣接して「吉備大臣宮」という具合に、真備町の「まきび公園」とコンセプトがかなり似ています。そうとうお金の掛かっていそうな豪華な公園なのに、ひと気も無くガランとしてて超寂しかった・・・。お食事処もお昼前後の3時間程度しか開けないらしく、私が訪れた時には閉まってました。神社も無人で、お守りも入手できずじまい。ただし、公園の植栽は良く手入れされていたので、花の季節になればもっと華やかになって人出もあるのかもしれません。神社には季節がら合格祈願の絵馬が沢山下がっていて、地元の参詣者もそこそこいる模様。学問の才人・真備に祈願したら、天神様こと菅原道真公より効き目がありそうですね。(何しろ真備は大宰府に左遷されても復活して、ついには右大臣に昇り、天寿を全うしたのですから!)
↓ 「吉備大臣宮」 建物は新しそうだけど、三連の石鳥居は雰囲気あり。

↓ 矢掛町側の「吉備大臣産湯の井戸」 こちらはシンプル。

この公園から三谷駅方面へ600mほど行った所には、「下道氏の墓域」という史跡があります。真備の祖母の骨壷が出土した場所だそうで、これはちゃんとした考古学的裏付けがあるのだそう。とはいっても、真備その人にちなむものではなく、祖母というのがちょっと苦しい・・・。石碑と墓石の名残(?)みたいな石が僅かにあるだけの地味~な史跡でした。
↓ 「下道氏墓域」 祖母の墓なのに石碑の銘が「真吉備公之墓」なのはご愛嬌。

最後に、三谷駅近くにある「圀勝寺」というお寺へ。ここは、真備の父親の名「圀勝」を寺名にしていて、吉備氏ゆかりの寺と称していますが、前述の江戸時代に出土した真備の祖母の骨壷を、殿様の命令でたまたま預かり、お祀りすることになったという程度のゆかりです。寺の建物も新しそうでどうということなかったけれど、椿の見事な大木が有名だそうで、開花時にはカメラ持参の見物客が押し掛けるとか。残念ながら今はまだ固い蕾でした。
二つの真備の「ふるさと」史跡の他に、その中間にある「琴弾岩」も訪ねましたが、訪れた他の史跡のことも含め、長くなるので続きはまた明日・・・。
by machiarukinote
| 2011-02-16 23:17
| 街歩きレポート
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