操山北麓の古寺、再び |
山本院は、お若いご住職さんはじめ、檀家の皆さん、職人さん総出で、境内整備の造園作業真っ最中でした。『ノオト』にも少し書きましたが、山本院は数年前の台風で境内の樹木が倒れるなどしたため、撤去のついでに竹藪を切り開いて境内をすっきりさせ、檀家さんの協力でその部分を庭園として整備中なのだそうです。本当にこうやって手作りで少しずつ整備しているんだ、と驚きました。今は何でも一気にバーッとプロが工事してしまいますが、昔はお寺でも(西洋の)教会でも、信者さんたちの人的・金銭的協力で一歩一歩気長に作り上げていったのですよね。何十年何百年も掛かって。サクラダファミリアとか・・・。なんかそんな連想が浮かんで、心温まりました。 最明寺はかつて桜の名所だったそうですが、庭園完成の暁には、再び近在の人々が花見に集う場所として復活することでしょう。楽しみです。桜が成長するには、まだまだ年月が掛かるでしょうけど。
↓ 山本院境内の小さな池。この周囲・背後の場所を庭園として整備中。
(2010年12月撮影)
山本院の帰りに、同じ米田の岩間集落にある岩間神社に寄ってみました。『ノオト』の取材で何回かこの地を訪れた際に、道の先に鳥居が見えるので気になっていたお宮です。緩やかな石段の長い参道を登っていくと、意外に手入れの整ったそれなりの規模の神社がありました。木々に囲まれて外界から遮断された静かな境内は、苔むしていい雰囲気です。蔦の絡まる古そうな石造鳥居を持つ摂社もいい感じ。鳥居や狛犬の銘は、文化・文政・嘉永と江戸末期でした。岩間集落の氏神だそうですが、山本院とも何か関係があるのでしょうか。大昔は神仏習合が普通だったし、霊地には神も仏も区別なく祀られたということですから・・・。
↓ 岩間神社境内(左が神社本殿、右は摂社の稲荷社)
次に、しばし歩いて長楽寺に向かいました。取材の時に再三お世話になったご住職の奥さんがちょうどいらっしゃって、『ノオト』をお渡しすることができました。
こちらも、お寺の前の道を少し上った先にあるお宮が気になっていたので、今回寄ってみました。自動車道わきにへばりつくように建っている小さなお宮ですが、結構立派な石造鳥居と石灯籠を備えており、コンクリートブロックでできた覆い屋に掛かっている木札には「長楽寺鎮守智明大権現」とあります。覆い屋の中の社殿は小さく簡素ながらも、屋根は桧皮葺。鳥居や石灯籠の銘は、嘉永・慶応とやはり江戸時代末期でした。
やはり長楽寺と関係のあるお宮だったのですね。山中の古い霊地、湧き水や岩などの自然崇拝、神仏習合・・・と、ここもまた役者が揃っているな、と納得しました。
↓ 智明大権現(狭い境内から鳥居と石灯籠を仰ぐ)
帰り道にふと見ると、眼下に百間川のパノラマ風景が。長楽寺から門前の自動車道をほんの少し降りた辺りです。この自動車道と長楽寺の開けた感じの境内の印象から、あまり山深い所という実感がなかったのですが、けっこう高い位置なんだということに今更ながら気付きました。