例のごとく、旅レポートが長くなっていますが、あと少しお付き合いください。
まずは、あちこちで見かけたレトロ建築をざっとご紹介。
上の写真は、堀川中立売交差点からほんの少し西に入った所に建つ
「聚楽会館」。ここは、大正14年に発足した地域の教育後援団体が拠点としている建物のようです。建物自体の建造年は不明ですが、昭和34年(1959年)に現在地に移築されたものだとか。見た目から判断すると戦前の建物っぽいですよね。
こちら(↑)は、そのすぐ西並びにある
「鈴木医院」。現役の耳鼻咽喉科医院のようで、カメラを構えているうちにも、幼児連れの母親二人が連続で入っていきました。昭和初期の建物らしい。和風の門構えと洋風棟のコンビネーションが素敵です。
次は、千本中立売交差点に立つ
時計台のある店舗。1階の千本通に面した部分は、外観が改装されて牛丼チェーン「すき家」が入っています。が、側面のスクラッチタイルの壁を見ると古そうですね。『京都 まちかど遺産めぐり』(2014年)という本によれば、建築年等は不明ながら、恐らく大正から昭和初期に建てられたものではないか、とのこと。時計台は、2011年まではすき家の看板に覆われていて見えない状態だったとか。外してくれて、ありがたい!
こちらの時計台は、以前にもちらっと紹介した(
→コチラ)千本今出川交差点にある
「ミヨシ堂時計店」。同じく『京都 まちかど遺産めぐり』によると、昭和4年(1929年)に、元々の和風町屋の正面部分だけを改装して、現在のような洋風外観にしたものだそうです。この界隈では結構有名らしく、「千本の時計塔」といえばここのことなのだとか。しかも、この時計は現役でしっかり時を刻んでいるそうですよ。確かに時刻が合っている! 2016年に京都市の「京都を彩る建物や庭園」の一つに認定されたそうです。
上の写真は、ミヨシ堂時計店から千本通を北に少し進んだ所(並び)で見かけた洋風建物。千本上立売バス停(京都駅行き方面)のまん前です。看板などは出ていなかったので普通の住宅でしょうか。寄棟屋根の小ぶりの洋風棟が可愛らしい。
ここで、レトロ建築ウォッチングは一旦中断。千本通をこのまま北に進むと、千本ゑんま堂こと
「引接寺」があります。昨年の同じ時期にも訪問し結構丁寧に見学したつもりなのですが(
→コチラ)、いくつか見落としがあり、また行かねば、と思っていました。
まずは、本堂前の土間外陣の壁内側に描かれている板絵。半ば吹きさらし状態の場所なので、絵はかなり剥げちょろけですが、それでも目を凝らすと、閻魔様ら十王(地獄の裁判官たち)や鬼や亡者が繰り広げる閻魔庁の様子がリアルに伝わってきます。活き活きとした人物の動きやポーズが漫画を思わすタッチで、絵巻物の絵に通じるところがあるような・・・。室町時代の狩野派絵師・狩野元信が描いたものだそう。オリジナルをこんな無防備な状態にしておいていいの!と心配になりますが・・・。
もう一つ前回見落としたものは、この寺の名物、普賢象桜。昨年せっかく見頃に訪れたのに、品種の見分けが付かなかったために(品種名の札が付いていたのに気付かずに)、違う桜ばかり撮っていた、という失敗をやらかしたのです。今回はちゃんと確認して、普賢象桜を撮りましたよ。
葉化した雄しべ2本が花の中央から突き出ているのが普賢菩薩が乗る象の牙を思わせることから、普賢象桜と名付けられたのだそうです。一般的な桜のように花びらがハラハラと散るのではなく、花ごとポトリと落ちるのも特徴。人の首が落ちるのを連想させるため、あの世への引導をつかさどるこの寺にふさわしい、と古くからここの名物になっているのだとか。ここも雨宝院と同様、花の目当ての写真愛好家たちが何人か訪れていました。
さて最後に、位置的には戻る形になりますが、面白い場所をもう一つだけ紹介したいと思います。
「すき家」の入っている時計台の建物がある千本中立売交差点から、東へ一角進んだところを南へ曲がります(北に曲がると、前述した「西陣京極」です)。南へ向かうこの道は、途中にかなり角度のある下り坂があります。これは、かつて聚楽第の堀があったことによる高低差と考えられているそうです。
上の写真をみると、道の先に何やら大きな木々が茂っているのが見えますよね。この道を進むと、大きなワンブロックに突き当たるような形になるのですが、その一画の内側に謎の“森”があるのです。この辺りは昔ながらの家も所々に残る住宅街で、道沿いは民家が建ち並んでおり、通常は、区画の内側も「ろうじ」に沿った裏店のような形で家が建て込んでいます。ところがこのワンブロックは内側がぽっかり空いたような形になっていて、そこに木々が生い茂っているのです。「梅雨の井」があった空き地もこんな感じですが、それよりこっちはもっと広い。かなり目立ちます。これは、出かける前にグーグルマップで下調べをしていた時に気付きました。航空写真に切り替えるとすごく分かりやすいです。千本通から見ると、「スギ薬局千本店」の裏側あたり。住所で言うと、上京区山王町。
この"森”に接するような位置(北側)に
「マヤルカ古書店」という面白そうな書店兼ギャラリーがあるのを見付け、入ってみました。店の内容もよかったのですが、窓の向こうの“森”も気になります。店の人に聞いてみると(店主ではなくバイト店員だった)、よくは知らないけれど、森の向こう側に古い洋館もありますよ、とのこと。詳しい場所は聞かなかったものの、とりあえずこのワンブロックの周囲を時計回りに歩いてみることに。
すると、その区画の東側に奥に入る小道を発見。入ってみると、案の定、先はくだんの森でした。フェンスで仕切られて、それ以上入り込めないようになっています。
引き返す時に、小道の中ほどに木戸があり貼り紙が貼られているのが目に入りました。なになに、「築100年の洋館を見学できます。」だって! ここがその洋館なのですね。
「遊・空間u」というフリースペース(?)らしく、長年続けてきたが、近々閉めることになりそうなので、今のうちにお楽しみください、といったようなことが書かれています。旅は2日目最終日の夕方で帰る時間が気になっていたのですが、これはこの機会を逃すわけにはいかない!と訪問を決意。
木戸を潜ると、新旧いくつもの棟が窮屈そうに立ち並ぶ敷地になっていて、手前にあるとんがり屋根のバンガローみたいな建物がその洋館らしい。
開いていた入口からお邪魔します。誰もいない・・・。玄関の間から左右に2つの部屋。どちらの部屋にもアンティークの家具や小物がびっしり。2階はなく、もともと1階建てのようです。
片方の部屋の奥に、増設されたと見える新しい廊下と階段があり、そこから人声が聞こえてきたので行ってみると、階段を登った先の部屋では、あるじらしき70代くらいの男性と、訪問者らしき30歳くらいの女性が話をしていました。部屋には蔵書やあるじの創作物(動物のニミチュア人形やら手作り小冊子やら・・・)が所狭しと並んでいます。女性は何か創作活動をしている風な感じの人で、あるじとは知り合いらしく、ひっきりなしに煙草をふかしていあるじに、「止めろと言っても止めないだろうけど、くれぐれも健康でいてくださいよ」と何度も繰り返して、先に帰っていきました。
聞いてみるとその男性は趣味人の御隠居のようで、この屋敷のオーナーだそうです。15年くらい前からこのように洋館を開放して、イベントの場として貸し出したり、訪ねてきた人とのんびり会話したりしているのだそう。しかし、いろいろ事情があってそろそろ終わりにするのだとか。
洋館は男性の祖父が明治末期~大正初期頃に自宅敷地内に道楽で建てたもので、特に目的があっての普請ではなかったので、建てただけで気が済んで、使われずにいた建物だそうです。贅沢! 画家にアトリエとして貸そうという考えもあったらしいけど、実現しなかったのだとか。中身のアンティークは男性が買い集めたものだそう。
気になる“森”のことも聞いてみると、屋敷も森の敷地もすべて代々この家の所有ということです。といっても、明治維新後にここに住み着いた新しい住人だけどね、とのこと。今は森になっているけれど、昔は畑や造園業者の植木園として貸していたそうです。こんな街なかの空き地だと、開発目当ての不動産業者があれこれ言ってくるんじゃないですか、と聞くと、そりゃ、しょっちゅうだよ、と。いつも断固追い返しているとか。
洋館も、保存しようとか大それたことは全く考えておらず、とにかく使えるまで使って人に楽しんでもらおう、朽ちたらそれまで、というスタンスなのだとか。清心温泉みたい。これはこれで潔いのかも。
帰りに小道を出たところでよくよく眺めたら、その屋敷の表通り側はこのような(↑)立派な和風建築でした。代々、結構な財産家なのかなぁ。あのおじいさん、一体何者なんだろう?
開放はそろそろ終わり、のそろそろがいつになるのかは知りませんが、もしもこの辺を訪れる機会がありましたら、寄ってみてください。京都の街なかにある森と洋館とジブリアニメにでも出て来そうな風変わりな老人・・・、この機会を逃したらもう会えないかもしれませんよ。