スウェーデン坂再訪 |
スウェーデン坂とは、1950年代~60年代に、ここにスウェーデン人のキリスト教宣教師一家が住んでいたことから名付けられた坂名です。だいぶ前に宣教師一家は去り、屋敷は人手に渡りましたが、数年前まで建物は残っていたそう。趣のある洋館だったそうで、有名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの手になるものだった可能性も・・・(詳しくは『ノオト』第5号をご覧ください)。しかし、残念ながら解体撤去され、私が訪れた時(2009年1月)には更地になっていました。道に面した塀の一部と門柱・鉄扉は残っており、敷地の奥には庭石やあずまや(温室?)らしき建物も残っていました。解体されて1年くらいしか経っていなかったようです。(それにしても、もうちょっと早く見に来れば良かった!悔やまれます。)
↓ 3年前のスウェーデン坂宣教師館跡(2009年1月撮影)
あれから3年以上も経ち、その後どうなっているだろう、とずっと気になっていました。あのお洒落な鉄門も撤去されて、新しい家が建っているのではないかと、見るのが恐いような・・・。ドキドキしながら坂を登っていくと、ありました!
とはいえ、この印象的な門が無事で、敷地もそのままだったので、正直なところホッとしました。開発されて別の建物が建ち、もう宣教師館がどこにあったのかも分からないような状態になってしまったら悲しい・・・。でも、いつかはそうなるでしょうが。
今回、スウェーデン坂へ歩いて行く道中、三勲小学校の脇を通りました。『ノオト』第14号でも取り上げたピンクのレトロ水門に“挨拶”しに通るお気に入りのコースです。と、水門にちょっとした異変が・・・。水門の向かって左側、石垣沿いに、コンクリート舗装された真新しい小道ができているではありませんか!
ところが、今、その部分にしっかり「道」が出来ている! これなら安全に通れそうです。で、思わず実際に通って、水門の上に上がってしまいました。わーい、わーい!大好きな水門に登ったぞ~!(って、子どもみたいですが・・・) 見れば、以前は水門上面に積もっていた落ち葉や枯れ枝がきれいに掃除されています。
てっきり今は使われていない水門なのかと思っていましたが、こんなふうに整備されたところをみると、使う気満々? …とすれば喜ばしいことです。でも、実用的に使うつもりなら、電動化とか改変されてしまう可能性も・・・。まだまだ安心はできません。しばらく経過を見守ることにします。
『ノオト』で取材した物件の中にも、残念ながらその後姿を消してしまったものがいくつかあります。第6号で取材した笠岡・伏越遊郭の旧岡部医院はその最たるもの。第8号でお伝えしたように、火災で焼失しました。遊郭といえば、岡山市の西中島・東中島の建物も随分なくなりました。その西中島にあったお稲荷さんも最近消滅。第2号で取材した内田百閒ゆかりの稲荷祠です。全国的な百閒本にも写真が載っていたりする、百閒ファンには有名なスポットなのに・・・。ショック!
第7号で取材した、岡山市南区藤田の「宮島水門」も現代的なものに改修されてしまいました。撤去改修の予定があると地元の人が言っていた「大曲第一樋門」や「妹尾川三連樋門」は無事だろうか?機会があったら確認しに行きたいと思っています。それから、第10号で訪れた倉敷市玉島の銭湯「港湯」はその後廃業したと聞きました。建物は今のところ残っているらしいけど。あの素敵な建物だけでも何とか保存して欲しいものです。
悲しいことですが、どれもこれも残せというのは無理な話なんでしょうねぇ。でも、できるだけ生き残って欲しい…、いろいろ検討してどうしてもダメなら仕方ないけど、何も考えずに簡単に壊さないで欲しい…、と切に祈るばかりです。