奈良訪問ふたたび(その1) |
『街歩きノオト』11号のきっかけとなった昨年秋の奈良訪問は日帰りで、見残したものも沢山あったので、近いうちにぜひもう一度行きたいと思っていたのです。もちろん旅のテーマは「吉備真備と玄昉周辺の妖しの伝説をめぐる旅」。
ガイドブックをみると春のイベントや寺社の特別拝観は春休みとゴールデンウィークに集中、桜も盛りを過ぎた散りかけで、今の時期はいわばちょっとした観光端境期。静かに観光するにはうってつけの時機です。遷都1300年祭の大騒ぎもとっくに終わってるしね。
天気は2日間ともあいにくの曇り空で、特に1日目は途中から雨も降り出すという悪条件でしたが、妖しの伝説の現場を盛り上げる演出だったと思えばかえって良かったかもしれません。
まず、話題のパン屋さん「ミアズブレッド」のランチを目当てに、バスで平城宮跡へ。古墳の点在する古い住宅街を少し歩くと、噂通りの“行列のできる店”が出現。予約しておいた良かったわ~。色鮮やかな野菜たっぷりのピタパンサンドは、わーっ♪とかぶりついてしまったので写真撮るのを失念・・・。美味しかったですよ。
さて、無事腹ごしらえを済ませ、いざ史跡巡りへ!せっかくここまで来たので、まずは平城宮の復元施設や展示施設を見学。といってもものすごく広いので、東寄りの施設だけですが。壮麗な大極殿をはるか遠くに望みながら、地味なお役所(宮内省)復元建物などを覗いて歩きました。土間にテーブル・椅子が並ぶお役所、けっこう今っぽい(?)感じで面白かった。「天平冥所図会」を愛読する身には興味津津です。
次は平城宮を出て東へ進み、「海龍王寺」へ。玄昉さんゆかりのお寺です。ここへは数年前に一度来たことがあります。その時は仏像が目当てで、玄昉はじめ歴史的いわれについては全く関心外でしたが、鄙びた侘び寂び加減が何ともいい感じの古刹で心に残りました。このたびのマイブームで玄昉ゆかりの寺と知り、いよいよ愛着がつのっての再訪です。
このやや剥げかけた土塀が何とも言えない・・・。今は小ぢんまりとしたお寺ですが、往時は、光明皇后が平城宮の鬼門の護りと遣唐使の渡航無事祈願のために建てたという国家の重要寺院。折しも唐から経典五千巻を携えて帰国した玄昉が、その功績により初代住持に迎えられました。皇后・皇太后の寵愛を欲しいままにした権勢絶頂の玄昉が過ごした所なのですね。またここは、称徳女帝・道鏡時代には、道鏡を法王とするきっかけとなった“奇跡”が起きた現場としても知られています。この寺から“本物の”お釈迦様の仏舎利が出現したというものですが、のちにこれはヤラセと判明しました。
こんなギラギラした政治の舞台となった海龍王寺ですが、時の流れに洗われて、今はむしろ清々しく枯れた印象の心安らぐ空間です。拝観者は私一人という贅沢さ!存分に雰囲気を味わいました。そういえば、小説「吉備真備陰陽変」ではここを舞台に、真備vs玄昉の手に汗握る追いつ追われつが繰り広げられていたっけ。境内の古井戸に逃げ込む玄昉を追って、真備が謎の大地下迷路に迷い込み・・・、と、史実的にはかなり大胆というか荒唐無稽なストーリー展開でしたが。ちなみに、井戸は見当たりませんでした(笑)。
さて、ここから南に少し歩いて、平城宮の「東院庭園」へ。ここは広大な平城宮遺跡の中でも東端に突き出した部分。庭園の苑池と建物が復元されています。主に称徳女帝が好んで使った所と言われています。池の真ん中に立つ建物では、孤独な女帝が道鏡や真備らお気に入りの重臣を侍らせて宴を楽しんだのでしょうか。
次に向かったのは「長屋王邸跡」。しかしここは何も残っていません。今はイトーヨーカドーの大店舗がドカ~ンと建っているだけ。しかし、「吉備真備陰陽変」や「陰陽魔界伝」を読んでいる身には想い入れ深い場所、外せません。1980年代後半、この地にそごうデパートが建設されることになり、掘り返したら豪邸の遺跡が現れ、さらに調査をすると大量の木簡が発見されて屋敷の主は有名な長屋王と判明、大ニュースになりました。長屋王とは、聖武天皇治世初期の最有力皇族。左大臣を務める優秀な人物で政治的に大きな力を持っていましたが、藤原氏の陰謀で無実の罪をきせられ、自邸で(ここですよ!)妻子と共に自害に追い込まれました。その後、疫病や天変地異が続発。長屋王の祟りと恐れられたということです。
この大発見の遺跡を保存するかどうかですったもんだした揚句、結局そごうが予定通り建ったけど、その後まもなくこのデパートが潰れたため、それ見たことか!長屋王の祟りだ・・・と陰口をたたかれているとか。現在は施設をそのままイトーヨーカドーが引き継いで、無事に営業を続けているようです。正面玄関前に「長屋王邸跡」と記された説明パネル付きの立派な石碑があります。しかし、念のため敷地内をうろついてみたら、店舗裏の従業員用駐車場の一画にこんな小祠がありました。
長屋王を祀る祠のようで、脇には王の略歴を記した木製の立て札が立っています。店側もさすがに気になかったのか、ちゃんとお祀りしてあるのですね。でも、一般客の目には触れにくいこんな所に置くなんて、やっぱりちょっと後ろめたいというか人聞き悪いからなのかな。
このイトーヨーカドーから大通りを挟んで向かい側(南側)に庭園が見えます。これが「平城京左京三条二坊宮跡庭園」。先ほどの「東院庭園」と同じく、苑池や建物が復元されている手入れの行きとどいたお庭ですが、なんと無料です。でも、ちゃんと入口に番人もいて、リーフレットももらえる。(ちなみに平城宮も入場無料。奈良って太っ腹ですね!) しかも、建物には上がれない東院庭園とは違って、こちらは復元建物にも自由に入れる。こんな素敵な史跡なのに、見学者は私一人でした。
この庭園は、奈良時代中期に作られた平城宮の離宮的施設か皇族の邸宅と考えられているそうです。長屋王の死後、邸宅跡を一時皇后宮としたという記録があるそうなので、それかも?? 貸し切り状態のなか建物に上がり、光明皇后の気分でしばし雨に煙る庭園風景を独り占めしました。
このあと、バスに乗って奈良国立博物館に駆け込み、閉館まで残り1時間余りでしたが、リニューアルした仏像館の平常展示を見学しました。その帰り道、夕暮れのなか訪れたのがここ。
興福寺菩提院です。門に柵をして入れないようになっていたので、とりあえず門から中の境内を撮影。夕方だからかと思いましたが、後で調べたら、ここは現在興福寺の管長の住まいになっているため非公開なのだそうです。
菩提院は玄昉が創建し住んでいたと伝えられる僧院ですが、門の脇に立つ説明板によれば、むしろ玄昉の菩提を弔うために造営されたものであろう、ということでした。また、ここは、春日大社の神鹿を誤って殺したために石子詰(生き埋め)の刑になった子どもの悲話にまつわる寺でもあります。
ざっと1日目はこんな感じ。長くなったので、2日目はまた改めて・・・。