天平時代小説(その1)『眩人』 |
普段、知識や情報を得るための読書がほとんどで、滅多に小説は読まない私ですが、天平の歴史マイブームに乗って、いくつかの小説を読みました。この時代の歴史小説といえば、称徳女帝や弓削道鏡を扱ったものがまず目につきます。しかし、吉備真備や玄昉といった“脇役たち”に興味のある私としては、それら有名どころはとりあえずわきに置いといて、さらにamazonやgoogleなどで探してみました。すると、少ないながらもありました!
まずは、松本清張の『眩人』(1980年)。主人公は怪僧・玄昉です。渋い人選!歴史マニアとしても知られる清張氏だけに、豊富な歴史的知識に基づいた緻密な描写と想像力で、在唐留学生時代の玄昉や吉備真備たちを描き出します。後世には偉業として伝わる遣唐留学生たちの実態は、ひょっとしてこんなだったかも・・・と思わせる筆致が巧い。1970年代には、アメリカ留学と称してカリフォルニアあたりでラリっていた若者もたくさんいたらしい(?)けど、玄昉や真備も長安のゾロアスター教祠でしっかりラリってます。とはいえ、真面目で少々肝っ玉の小さい真備は堅実に昇進する道を選びますが、野心家の玄昉は怪しげな手段で(つまりは麻薬も含めた医薬知識と色仕掛けで)立身出世の階段を駆け登る道を目指します。
ところが、彼らが帰国し、さて・・・と期待させる後半になると、あれれっ?て感じ。歴史に造詣の深い清張先生だけに、かえって“史実”の足枷に足をとられたか、話が次第に説明的になって駆け足に。ギラギラ玄昉さんの所業も全体の流れにだんだん埋もれて、目立たなくなってしまう。何となく消化不良な読後感でした。
超有名な清張氏の作品にしては有名ではないし、失敗作とまで行かずとも、成功作ではなかったんだろうなぁ。あの前半の迫力で後半も行けてたら傑作になっていたかも、と惜しまれます。
後半も迫力満点のこれでもかって感じのフィクションバージョンをつくってみたらおもしろいかも。
それで今思いついたんですけど、machiさん(ここではどんな呼び方がいいかな)も歴史小説を書くってのはどうですか?
自分の呼び名、考えてませんでした。machiarukinoteって長いしね。本名のイニシャルSFでいいかな?
歴史小説、私には絶~対無理です!根本的に散文的な人間なので。小中学校で「詩」を書かされるのには本当に困りました。特に小学生の時は、詩が何なのか全く分からず、短く区切って書けば詩になるのか??と真剣に悩みましたよ。そんな人間だから、人間や人生の機微を描くなんて逆立ちしても無理。奔放な想像力も無いし。
「眩人」の他にも、いくつかこの時代を扱った小説をこれから紹介するつもりです。この時代や人物についてはある程度勉強したので、これらの小説を読んでいても、あぁ、あの歴史的エピソードや伝説を料理したんだな、って元ネタは分かるのですが、その料理方法については、自分には思いもつかないわ~!と小説家の手腕に脱帽することしばしばでした。
歴史小説はもっぱら読んで楽しむ側にいたほうが身のためだと思っています。